木樽正明
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木樽 正明(きたる まさあき、1947年6月13日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球投手である。
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[編集] 来歴・人物
銚子商業高校3年の時、1965年夏の甲子園大会で準優勝。卒業後は早稲田大学への進学希望で、ドラフト会議で東京オリオンズが2位で指名しながらも、入団には難色を示していたが、入団。杉下茂、堀本律雄のつけた背番号20を受け継ぐ。速球と切れのいいシュートを武器に入団1年目から主力投手として活躍。1969年にはリリーフで15勝をマークし、パ・リーグ最優秀防御率のタイトルを獲得。
1970年には、先発に転向し、21勝をマークし、同年のリーグ優勝に大きく貢献、MVP・ベストナインのタイトルも獲得した。翌1971年も24勝をマークし、最多勝に輝く。1974年の日本一にも貢献し、成田文男、金田留広、村田兆治とともに四本柱を形成した。しかし、その後持病の腰痛に苦しみ、1976年に29歳で現役引退。その後はロッテのコーチ、スカウト部長などを歴任した。2002年~2006年読売ジャイアンツの編成部所属し、2007年より育成担当コーチとして現場に復帰したが、2008年からは編成部所属に戻った。
[編集] エピソード
- 新人時代、永田雅一オーナーをして「俳優でもいける」という彫りの深い顔立ちで球界きってのイケメンであった。
- 1968年は故障で0勝1敗の成績で終わり、野手転向も検討された。この話を聞いた小山正明が「アイツ(木樽)ほど投手としての才能に恵まれたヤツはいない。もう一度考え直して欲しい。」と当時の球団首脳に直訴した結果、投手としての選手生活を続行できた。
- 1975年、対巨人とのオープン戦で、上田武司の打った打球を顔面に受け、顔面骨折を重症を負う。金田正一監督のマスコミから逃げる配慮で、金田監督の自宅に完治するまで泊り込んだ。その期間、特製の食事などが用意されたというが、3日後からはランニングさせられたという。しかしその金田式治療の甲斐があってわずか1ヶ月足らずで復帰を果たし、その月は実働半月で3勝を挙げる活躍を見せた。
- ロッテコーチ時代の1988年、大阪球場での対南海戦でトニー・バナザードと死球を巡り殴り合いの乱闘を演じて退場になった事がある。
[編集] 略歴
- 投打 右/右
- 出身地 千葉県
- 球歴・入団経緯 銚子商高 - 東京・ロッテオリオンズ(1966年ドラフト2位~76年)
[編集] 年度別投手成績
- 表中の太字はリーグ最多数字
年度 | チーム | 登板 | 完投 | 完封 | 無四 球 |
勝利 | 敗戦 | セーブ | 投球回 | 被安打 | 被本 塁打 |
与四 死球 |
奪三振 | 自責点 | 防御率(順位) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1966年 | 東京 ロッテ |
17 | 3 | 0 | 1 | 3 | 8 | - | 78 | 75 | 4 | 11 | 32 | 26 | 3.00 |
1967年 | 44 | 1 | 0 | 1 | 8 | 8 | - | 146 | 129 | 11 | 31 | 90 | 41 | 2.53(10) | |
1968年 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | - | 14.1 | 11 | 3 | 8 | 11 | 9 | 5.79 | |
1969年 | 51 | 2 | 0 | 0 | 15 | 9 | - | 162 | 135 | 12 | 40 | 70 | 31 | 1.72(1) | |
1970年 | 42 | 20 | 4 | 4 | 21 | 10 | - | 278 | 225 | 29 | 49 | 161 | 78 | 2.53(4) | |
1971年 | 47 | 19 | 4 | 4 | 24 | 8 | - | 266 | 245 | 32 | 58 | 168 | 102 | 3.45(13) | |
1972年 | 37 | 2 | 0 | 1 | 9 | 7 | - | 123 | 117 | 19 | 33 | 78 | 53 | 3.88 | |
1973年 | 44 | 4 | 2 | 0 | 14 | 7 | - | 165.1 | 141 | 9 | 44 | 88 | 52 | 2.84(7) | |
1974年 | 36 | 11 | 1 | 1 | 13 | 6 | 2 | 201 | 182 | 17 | 61 | 85 | 69 | 3.09(11) | |
1975年 | 30 | 6 | 0 | 0 | 5 | 14 | 1 | 140.2 | 147 | 14 | 49 | 44 | 62 | 3.96(21) | |
1976年 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 35.2 | 45 | 2 | 13 | 14 | 22 | 5.50 | |
通算成績 | 367 | 68 | 11 | 12 | 112 | 80 | 3 | 1610 | 1452 | 152 | 397 | 841 | 545 | 3.05 |
[編集] タイトル・表彰
- MVP 1回(1970年)
- 最多勝 1回(1971年)
- 最優秀防御率 1回(1969年)
- ベストナイン 1回(1970年)
- オールスターゲーム出場 5回(1969年~1971年、1973年、1974年)
[編集] 関連項目
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監督 |
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88原辰徳 |
コーチ |
78伊原春樹(ヘッド)|87尾花高夫(投手総合)|72香田勲男(投手)|81篠塚和典(打撃)| 89村田真一(打撃)|79福王昭仁(内野守備走塁)|73緒方耕一(外野守備走塁)| 74西山秀二(バッテリー)|76白坂契(トレーニング) |82木村龍治(トレーニング兼投手) |
二軍監督・コーチ |
77吉村禎章(監督)|75岡崎郁(ヘッド兼内野守備)|70小谷正勝(投手) |85斎藤雅樹(投手)|86岸川勝也(打撃)| 84金杞泰(打撃)(韓)|83西岡良洋(外野守備走塁)|97伊藤博(トレーニング)|80内藤重人(トレーニング)|98玉木重雄(育成(投手)| 112川中基嗣(育成コーチ兼運営部二軍サブマネジャー)|71藤田浩雅(バッテリー)|115中本茂樹(育成コーチ兼スカウト)|130金鍾勳(打撃) |
投手 |
11久保裕也|13林昌範|15辻内崇伸|17姜建銘|19上原浩治|20豊田清|21高橋尚成|22福田聡志| 26内海哲也|27門倉健|28金刃憲人|29グライシンガー|30西村健太朗|31バーンサイド|33野間口貴彦| 36村田透|37藤田宗一|38上野貴久|39吉武真太郎|41木佐貫洋|42クルーン|46野口茂樹| 47山口鉄也|57古川祐樹|59深沢和帆|60深田拓也|62越智大祐|63会田有志|67加登脇卓真| 68栂野雅史|90深町亮介|92木村正太|93東野峻|95竹嶋祐貴 |
捕手 |
10阿部慎之助|40村田善則|43鶴岡一成|53實松一成|56加藤健|58星孝典|96伊集院峰弘 |
内野手 |
00寺内崇幸|0木村拓也|2小笠原道大|6小坂誠|7二岡智宏|23脇谷亮太|25李承燁| 32円谷英俊|44大道典嘉|45小田嶋正邦|51古城茂幸|52岩舘学|54藤村大介|61坂本勇人 |
外野手 |
5ラミレス|8谷佳知|9清水隆行|12鈴木尚広|24高橋由伸|35亀井義行| 48矢野謙次|50加治前竜一|64松本哲也|65梅田浩|66田中大二郎|94中井大介|99隠善智也 |
育成選手 |
100佐藤弘祐(捕手)|101山本光将(外野手)|102籾山幸徳(内野手)|103西村優希(投手)|104谷内田敦士(捕手)| 105三木均(投手)|106林羿豪(投手)|109鈴木誠(投手)|110大抜亮祐(投手)|111川口容資(投手)|129オビスポ(投手) |
東京オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ) 1965年ドラフト指名選手 |
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1位:大塚弥寿男 / 2位:木樽正明 / 3位:嵯峨野昇 / 4位:塩谷守也 / 5位:簾内政雄 / 6位:真崎勝 7位:佐藤元彦 / 8位:広瀬幸司 / 9位:川藤竜之輔 / 10位:吉川和男 / 11位:池田昭洋 12位:大戸洋儀 / 13位:石井一男 / 14位:城戸徳夫 / 15位:児玉好弘 |