姜建銘
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姜 建銘 読売ジャイアンツ No.17 |
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基本情報 | |
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国籍 | 台湾 |
出身地 | 台北県 |
生年月日 | 1985年5月27日(23歳) |
身長 体重 |
175cm 73kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
初出場 | NPB / 2006年6月14日 |
経歴 | |
■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
姜建銘 ジャン・チェンミン |
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出生 | 1985年5月27日(23歳) 台湾 |
職業 | 野球選手(投手) |
各種表記 | |
簡体字 | 姜建銘 |
繁体字 | 姜建銘 |
ピン音 | |
発音転記 | |
英語名 | Chien-Ming Chiang |
姜 建銘(ジャン・チェンミン Chien-Ming Chiang、1985年5月27日 - )は台湾出身のプロ野球選手。読売ジャイアンツ所属の投手。
目次 |
[編集] 経歴
最速148km/hの豪腕投手として高校時代から活躍し、国立体育学院に進学。背番号は呂明賜と同じ97をつけていた。2005年5月に宮崎県で行われたアジア選手権の台湾代表に選ばれ、勝利投手になるなど活躍した。その際に巨人のスカウトの目に止まり、6月に入団テストを受け、まだ学生ながら入団が決定。7月初旬に来日した。巨人には、マリナーズの誘いを断って入団した。理由は、プロ入り後も在学するつもりであった大学に関するサポートや学費等の支援が巨人の方が充実していたため。現在も国立体育学院には在学中で、オフシーズン中に通学して単位を取得することになっている。
[編集] プロ入り後
入団後は二軍で基礎から育成し、2006年に一軍デビューを果たした。しばらくは中継ぎでの起用だったが、8月22日の横浜戦で先発し、7回1失点(自責点0)で初先発初勝利を挙げ、以後先発の一角として定着する。初登板から28イニング連続無四球を記録し、初めての四球は敬遠だった。9月3日の中日戦では初完封勝利を無四球で飾った。先発に定着後は若手ながらエース顔負けの活躍をみせており、防御率1.81という好成績を残した。
林威助、陽仲壽らと共に、WBC2006の台湾代表にも選ばれた。郭泰源、郭源治の後継者としても期待されている。
2007年は開幕時から先発投手陣に名を連ねたが、突然、フォームを崩してしまい、以降はKOされることが増えた為、途中から中継ぎに配置転換され1軍と2軍を往復する1年となった。
自身が通っていたトレーニングジムの職員で同じ台湾出身の女性と婚約、2008年1月2日に台北市で婚約式を行った。
[編集] プレースタイル
- テイクバックの小さな変則フォームからボールをテンポ良く投げ込み、手元で動く癖球と多彩な変化球で打たせて取るタイプ。そのマウンド度胸も武器の一つ。
- 四球を出すことを特に嫌っている。本人曰く「(球数が無駄に増えるため)フォアボールを出すくらいならヒットを打たれた方がマシ」。
- 打撃も上手く、2軍では三塁打を放ったこともある。また、台湾時代は遊撃手で起用された経験もあるように、フィールディングも高レベルにある。
[編集] エピソード
- ユニフォームの英字ネーム表記はC.M.CHIANGで、スコアボード上では「姜建銘」とフルネーム表記。巨人では同じ名字であってもファーストネームの頭文字は基本的に付かないが台湾人選手、韓国人選手(李承燁を除く)には付いている。
- 日本で活躍する外国人スポーツ選手としては日本語能力はかなりのもので、インタビューにも日本語で答える。
- 2007年5月号の月刊ジャイアンツのインタビューで生涯巨人を希望した。
- 登板時のBGMは学園天国。
[編集] 年度別投手成績
年度 | 所 属 球 団 |
登 板 |
勝 利 |
敗 北 |
勝 率 |
セ 丨 ブ |
完 投 |
完 封 勝 |
無 四 球 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
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2005年 | 読売 | 0 | 0 | 0 | .000 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 |
2006年 | 17 | 3 | 2 | .600 | 0 | 1 | 1 | 1 | 229 | 59.2 | 48 | 2 | 7 | 1 | 31 | 2 | 1 | 13 | 12 | 1.81 | |
2007年 | 17 | 2 | 4 | .333 | 0 | 0 | 0 | 0 | 182 | 41.2 | 45 | 6 | 13 | 0 | 30 | 1 | 0 | 27 | 24 | 5.18 | |
通算成績 | 27 | 5 | 6 | .455 | 0 | 1 | 1 | 1 | 411 | 101.1 | 93 | 8 | 20 | 1 | 61 | 3 | 1 | 40 | 36 | 3.20 |
- 2007年シーズンまで
- 表中の太字はリーグ最高
[編集] 個人記録
- 初登板:2006年6月14日・対オリックス4回戦(セ・パ交流戦)・東京ドーム
- 初先発・勝利:2006年8月22日・対横浜15回戦・長野オリンピックスタジアム
- 初完投勝利・完封:2006年9月3日・対中日20回戦・ナゴヤドーム
[編集] 背番号
[編集] 関連項目
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5 胡金龍 - 6 陽森 - 7 林智勝 - 8 詹智堯 - 11 林恩宇 - 12 張家浩 - 13 陳鏞基 - 15 陽仲壽 - 17 許竹見 - 18 潘威倫 - 19 林英傑 - 24 林威助 - 27 葉君璋 - 30 黄龍義 - 31 鄭昌明 - 32 黄俊中 - 34 高志綱 - 46 陽建福 - 49 張泰山 - 55 謝佳賢 - 59 朱尉銘 - 63 許文雄 - 69 張建銘 - 70 蔡英峰 - 88 耿伯軒 - 91 陽耀勲 - 97 姜建銘 - 監督 林華韋 - 項 |
監督 |
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88原辰徳 |
コーチ |
78伊原春樹(ヘッド)|87尾花高夫(投手総合)|72香田勲男(投手)|81篠塚和典(打撃)| 89村田真一(打撃)|79福王昭仁(内野守備走塁)|73緒方耕一(外野守備走塁)| 74西山秀二(バッテリー)|76白坂契(トレーニング) |82木村龍治(トレーニング兼投手) |
二軍監督・コーチ |
77吉村禎章(監督)|75岡崎郁(ヘッド兼内野守備)|70小谷正勝(投手) |85斎藤雅樹(投手)|86岸川勝也(打撃)| 84金杞泰(打撃)(韓)|83西岡良洋(外野守備走塁)|97伊藤博(トレーニング)|80内藤重人(トレーニング)|98玉木重雄(育成(投手)| 112川中基嗣(育成コーチ兼運営部二軍サブマネジャー)|71藤田浩雅(バッテリー)|115中本茂樹(育成コーチ兼スカウト)|130金鍾勳(打撃) |
投手 |
11久保裕也|13林昌範|15辻内崇伸|17姜建銘|19上原浩治|20豊田清|21高橋尚成|22福田聡志| 26内海哲也|27門倉健|28金刃憲人|29グライシンガー|30西村健太朗|31バーンサイド|33野間口貴彦| 36村田透|37藤田宗一|38上野貴久|39吉武真太郎|41木佐貫洋|42クルーン|46野口茂樹| 47山口鉄也|57古川祐樹|59深沢和帆|60深田拓也|62越智大祐|63会田有志|67加登脇卓真| 68栂野雅史|90深町亮介|92木村正太|93東野峻|95竹嶋祐貴 |
捕手 |
10阿部慎之助|40村田善則|43鶴岡一成|53實松一成|56加藤健|58星孝典|96伊集院峰弘 |
内野手 |
00寺内崇幸|0木村拓也|2小笠原道大|6小坂誠|7二岡智宏|23脇谷亮太|25李承燁| 32円谷英俊|44大道典嘉|45小田嶋正邦|51古城茂幸|52岩舘学|54藤村大介|61坂本勇人 |
外野手 |
5ラミレス|8谷佳知|9清水隆行|12鈴木尚広|24高橋由伸|35亀井義行| 48矢野謙次|50加治前竜一|64松本哲也|65梅田浩|66田中大二郎|94中井大介|99隠善智也 |
育成選手 |
100佐藤弘祐(捕手)|101山本光将(外野手)|102籾山幸徳(内野手)|103西村優希(投手)|104谷内田敦士(捕手)| 105三木均(投手)|106林羿豪(投手)|109鈴木誠(投手)|110大抜亮祐(投手)|111川口容資(投手)|129オビスポ(投手) |