平王 (周)
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平王(へいおう、生年不詳 - 紀元前720年、在位:紀元前771年 - 紀元前720年)は、周王朝第13代の王。名は宜臼。なお、平王の時代より周は東周と称されるようになる。
宜臼は元来幽王の太子であったが、褒姒が後宮に入り寵愛を受け、伯服を設けると、廃太子され、宜臼は申へ逃れた。母であり同じく廃后された申后の父である申侯はこれに怒り、幽王が悪戯で烽火を用い諸侯を集め、それにより諸侯の信頼を失っていた機に乗じ、西方の犬戎と協力して幽王を攻撃した。紀元前771年、幽王と伯服は驪山において殺害され、褒姒も犬戎により連れ去られ、ここに西周は滅亡する。
幽王薨去後、申侯、繒侯、許文公などの諸侯は、廃太子されていた宜臼を申にて即位させた。しかし都城である鎬京は戦乱で荒廃していたため、紀元前770年に雒邑(洛邑)に遷都し、東周が始まった。以後も鎬京には兄弟である携王一派が存在して おり、前759年にこれを倒し、東西分裂していた周を統一した。
平王は51年の在位の後に薨去した。太子の洩父は夭折しており、平王の孫にあたる姫林が王位を継承した。
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