小宮山洋子
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生年月日 | 1948年9月18日 |
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出生地 | 東京都 |
出身校 | 成城大学 |
学位・資格 | 文学士 |
前職 | NHKアナウンサー・解説委員 |
所属委員会 内閣役職 |
衆・内閣委員会委員 衆・厚生労働委員会委員 |
世襲 | 祖父・青木一男(参議院議員) |
選出選挙区 | 東京ブロック (東京都第6区) |
当選回数 | 3回(参1回) |
所属党派 | 民主党(前原・枝野グループ) |
党役職 | 東京都総支部連合会副会長・会長代行 |
会館部屋番号 | 衆・第一議員会館319号室 |
ウェブサイト | 小宮山洋子HP |
小宮山 洋子(こみやま ようこ、1948年9月17日 - )は、衆議院議員(3期)。参議院議員(1期)、NHK解説委員を歴任。
目次 |
[編集] 概要
1948年出生。実父は元東京大学総長、成城学園学園長の加藤一郎。母方の祖父は大蔵大臣や初代大東亜大臣を務めた青木一男。
1972年成城大学文芸学部国文科を卒業し、NHKにアナウンサーとして入局(同期に橋本大二郎)。主としてニュース、報道番組の司会等を担当し、NHKニュースワイドの初のメーンキャスターを担当した。また、国会中継、国会討論会・政治座談会などの番組制作に携わる。1990年6月から1998年3月まで解説委員を務めた。
1998年3月にNHKを退職し、同年7月の第18回参議院議員通常選挙に民主党の比例代表候補として立候補し当選(実は自由民主党から出馬要請が有った)。1期務め、参議院環境委員長等を歴任した。
2003年4月、参議院議員を辞職し、石井紘基逝去に伴う衆議院議員補欠選挙に東京6区から立候補し当選(選対本部長羽田孜、同副本部長江田五月)。同年11月の第43回衆議院議員総選挙でも小選挙区勝利で再選。
2005年9月の第44回衆議院議員総選挙では越智隆雄に小選挙区で敗れたが、比例復活当選を果たした(比例東京ブロック)。その後、衆議院青少年特別委員会委員長、党東京都総支部連合会副会長・会長代行(政策担当)を務めた。
2007年4月の東京都知事選に候補者として一時名前が取りざたされたが、不出馬の意向を表明した。同年7月の第21回参議院議員通常選挙で大河原雅子の選挙対策本部長を務めた。
[編集] 人物・政策
政治的にはリベラルな傾向が強く、1999年8月、参院本会議の国旗国歌法案に反対した。
皇室制度改革を推進する立場で、皇室典範改正による女系天皇容認を主張し「秋篠宮妃紀子様のご懐妊を喜べない」と発言した。
フェミニストで民法改正による選択的夫婦別姓導入に積極的である。また、フェミニスト田嶋陽子の「女男」表記を支持した。 「傍聴席から見下ろすと、紺やグレーの背広を着た男性議員ばかりの議場は「ドブネズミ色」に見える」(2007年7月31日 東京新聞)と発言し、物議をかもした。
禁煙行政に力を注いでおり、超党派による禁煙推進議員連盟の事務局長を務めた。「たばこ増税」にも積極的な立場であり、「日本のたばこの価格は安すぎる。少なくとも倍か、それ以上にしたい」として、たばこの価格を欧米並みの一箱1,000円程度にするべきと主張しており、税収の増加分に関しては「健康や福祉に還元していきたい」としている。
在日外国人の参政権付与の推進者であり、大韓民国民団中央本部アンケートによると、日本で外国人参政権が実現しない理由については「日本人は日本国の国民とは日本人のことという意識が強いため」と主張している。2008年1月には、在日韓国人等に参政権を付与することを目的とする在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟に参加した。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 小宮山洋子ホームページ(公式サイト)
- 民主党東京都総支部連合会