孫過庭
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孫 過庭(そん かてい、648年 - 703年)は、初唐の能書家として著名。富陽(浙江省)の人で、字を虔礼(けんれい)といい、官は率府録事参軍になった。孫過庭の墓誌に記されたところによると、40歳ごろに任官したが、讒言を受けて退き、貧困と病苦のなかに洛陽の植業里で歿したとある。
孫過庭の書は二王(王羲之と王献之)を学び、臨模にすぐれ草書を得意とした。『書譜』、『草書千字文』はその代表作である。
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[編集] 書譜
垂拱3年(687年)、孫過庭自ら著した書論(運筆論)で、著者自身が書いた真跡が、台北故宮博物院に所蔵されている。本文は351行で、3711字ある。最初の行に「書譜巻上 呉郡孫過庭撰」とあり、最後の行に「垂拱三年写記」とある。
『書譜』は、王羲之の『十七帖』とともに草書の代表的な古典である。孫過庭は王羲之の書法を継承し、さらにその書法を発展させた。いまもなお『書譜』が重要とされるのは、王羲之書法の忠実な継承作であるとともに、書論としての内容の見識の高さにある。
孫過庭は『書譜』を6篇で構成し、上下2巻に分けたと巻末に記している。内容は、王羲之をはじめとする書人の比較、過去の書論の批判、書の本質、書の表現方法など多岐にわたるが、すべて書家としての経験からの論である。最後に「体得したことを秘することはしない。」と記し論を終えている。
[編集] 草書千字文
垂拱2年(686年)の書で、本文98行で、最初の行に「千字文」とあり、最後の行に「垂拱二年写記 過庭」とある。米芾などは、「その書ははるかに書譜に及ばない。」と言っている。別人のような筆跡でもあり、孫過庭の書であるか疑問もある。中国遼寧省博物館蔵。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 『日本と中国の書史』 - 社団法人 日本書作家協会発行 木村卜堂編著