国鉄レム5000形貨車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
レム5000形(レム5000がた)は、1964年から1969年に掛けて1461両が新造された国鉄の冷蔵車である。この項目では、レム5000形と同等の車体を使用した試作車のレム9000形、およびその後の実現しなかった国鉄冷蔵車についても説明する。
目次 |
[編集] 概要
昭和30年代末、国鉄の貨物輸送量は史上空前の量に達していた。国鉄ではこれをさらに改善していくべく新型貨車の開発や荷役作業の機械化などの取り組みを進めていた。こうした動きは冷蔵車にも適用され、この当時保冷性の高い冷蔵車として定評があったレ12000形を代替する重保冷の冷蔵車が計画された。これがレム5000形である。
レム5000形の開発より前に、有蓋車との兼用を考慮して開発した軽保冷のレム1形、レム400形が存在していたが、どちらも保冷性の低さから荷主に敬遠されており、軽保冷レムの後継車両開発計画はキャンセルされている。
レム5000形は、全長8.9m、全幅2.8m、全高3.7m、荷重15tで、冷蔵車を本来の用途として設計された二軸車で初めて荷重が15tに達した。車内容積も通常の有蓋車と同等になり、有蓋車の代用として使用した場合の利便性も確保されていた。15t積であっても軸重は13.2tに抑えられており、丙線入線も可能である。氷槽は従来ほとんど使用されていなかったので設置されなかった。断熱材はガラス綿を使用している。
三菱重工三原工場と舞鶴重工で製作が行われた(レム6135 - 6199の65両のみ日立製作所製作)。1964年3月に試作のレム5000が登場し、設計どおりの性能が確認されたため同年9月から量産が開始された。レサ10000形を製造した1966年度のみ製作が中断しており、1967年度製造の分からは2次型となり車内にドライアイスを置く棚が取り付けられるなどの改良が行われている。1次型は851両が製作されレム5000 - 5850となった。2次型は同一形式ながら6000番台が割り当てられ、610両が製作されレム6000 - 6609となっている。
レムという形式記号が割り当てられた車両はそれまでレム1形とレム400形という2形式の軽保冷車があり、その低い保冷性能から荷主から不評を受けていたため、当初はレム5000形も保冷性に不審の目が向けられていたとされる。このため国鉄が性能比較試験を公表するなどして不審の打ち消しに努めたことがあった。またその保冷性の高さをアピールするために車体に青帯(青15号)が30cm幅で巻かれている。
昭和50年代後半になると国鉄の鮮魚輸送は急速に衰退して、レム5000形も余剰となった。このため1982年から廃車が始められた。1984年2月1日国鉄ダイヤ改正では、北海道においてサッポロビール向けのビール保温輸送に61両、黒崎から全国に向けて三菱化成のドライアイスの発送に25両、長崎から下関、山陰方面への鮮魚輸送に5両が残るのみとなった。これらの輸送もまもなく廃止され、レム5000形は1986年に形式消滅となってJRには継承されなかった。
[編集] レム9000形
貨物列車の高速化の流れに対応するために、二軸貨車はヨンサントオ(昭和43年10月ダイヤ改正)でそれまでの65km/hから75km/hに引き上げられ、レム5000形もこれに対応していた。しかしさらに高速化を進めるために二軸車の85km/h対応が計画され、その試作車としてレム9000形が1968年に2両登場した。車体はレム5000形と全く同一であり、走り装置に一軸台車を使用している点が異なっていた。走行試験では85km/h走行に一応成功しているが、結局85km/hの貨物列車は本格的に運用されることはなく、レム9000形も量産されなかった。そのまま逆に65km/h指定のロ表記がなされ、重保冷を示す青帯と65km/h制限を示す黄帯を両方巻いた特異な外観の状態で長らく放置され、1978年に廃車された。
[編集] FRP冷蔵車
昭和40年代に入ると新たな材料として繊維強化プラスチック(FRP)が注目されるようになった。これを用いてレム5000形の更なる後継車両が計画された。FRPを車体全体に用いることで軽量化と断熱性の高さを達成できると見込まれたためである。開き戸と引き戸を組み合わせることで側面を全開にすることができる設計が検討されていた。しかし冷蔵車の時代が既に終わりつつあったため、構想のみで終わった。
[編集] 関連商品
Nゲージ鉄道模型として、トミーテック(TOMIX)および河合商会から販売されている。
[編集] 参考文献
RM LIBRARY 28 「国鉄冷蔵車の歴史(下)」 渡辺 一策 ISBN 4-87366-257-5