伊那路 (列車)
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伊那路(いなじ)とは、東海旅客鉄道(JR東海)が飯田線の豊橋駅~飯田駅間で運転する特急列車。
なお、本項目ではふれあい伊那路(ふれあいいなじ)・初詣伊那路号(はつもうでいなじごう)についても記す。
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[編集] 運転形態
[編集] 定期列車
- 「(ワイドビュー)伊那路」とも呼ばれ、1日2往復運転されている。
- 373系3両編成で運行されているが、普通車のみの編成(いわゆるモノクラス編成)である。座席指定席を連結している。
- 使用車両は、夜行快速列車である「ムーンライトながら」との併用で、同列車から分割された3両2編成を充てている。
- 伊那市などから運転区間延長の要望が出ているが、373系が不足する為に実現の可能性は低い。
- 飯田線は線形が悪く、表定速度はかなり遅い。とくに2号の表定速度は時速50kmを下回っており、これは定期運転される電車特急ではもっとも遅い。日本で2番目に平均速度が低い特急列車である(ちなみに、1番平均速度が低いのは、九州旅客鉄道が運行する気動車特急「はやとの風」)。
- 運転区間による変更がないため列車番号は2XM(Xは号数)である。
- 豊橋駅で新幹線「ひかり」と接続している。
[編集] 臨時列車
主に381系を使用したが、この列車の場合4両編成が最小編成であり、先頭車両の都合上グリーン車を連結していた。当初は「伊那路81号、82号」の名称で運行していたが、後に「ふれあい伊那路」として運行される事が多くなった。
一時期、東海道本線・名古屋駅まで延長運転もなされたり、初詣シーズンには豊川稲荷への初詣利用輸送のため飯田駅を早朝に出て豊川駅に向かう「初詣伊那路号」も運用されていた。また、定期列車の伊那路3号も大垣駅発着で運転が行われていた。(共に東海道線内は快速停車駅とほぼ同じ駅に停車していた。)
しかし、2001年に使用車両の381系による運行が終了してからは、快速列車として運行されるケースが多くなっている。
[編集] 停車駅
[編集] 担当車掌区
全ての列車において豊橋運輸区が担当する。
[編集] 歴史
- 1956年(昭和31年)4月15日 - 名古屋駅~中部天竜駅間に臨時快速列車が運行開始。後に「天竜」(てんりゅう)と命名。80系を使用。
- 1961年(昭和36年)3月1日 - 名古屋駅~辰野駅間に準急列車「伊那」(いな)が運行開始。
- 1966年(昭和41年)3月5日 - 「伊那」が急行列車に格上げ。4両編成、3往復運転。(大垣駅~上諏訪駅を最長区間とし、大垣駅~名古屋駅は普通列車)として運転。
- 1969年(昭和44年)7月 - 「伊那」一部列車を6両に増結。
- 1972年(昭和47年)3月15日 - 「伊那」4往復に増発。
- 1972年(昭和47年)3月29日 - 「伊那」80系から165系に転換。一部列車を7両に増結。
- 1983年(昭和58年)7月5日 - 中央自動車道の開通の影響で、利用者が減少したため「伊那」廃止。
- ※廃止後、天竜峡以南で飯田線内快速列車を2往復設定。分割民営化後は週末に快速「ナイスホリデー天竜・奥三河」が名古屋方面から直通運転された。
- ※天竜峡以北で運転されていた「かもしか(昭和61年11月「天竜」を改称;但し、1983年7月以降飯田線内は快速)」も1988年(昭和63年)3月に廃止されたことから、飯田線は一時急行不在となった。
- 1992年(平成4年)12月29日 - 現行区間で臨時急行として「伊那路」が運転を開始。快速「ナイスホリデー天竜・奥三河」は運転休止。
- 1996年(平成8年)3月16日 - 定期化の上で増発、特急へ格上げ。
- 2007年(平成19年)3月18日 健康増進法第25条により、全車両禁煙となる。