今半
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今半(いまはん、英文表記:Imahan)は飲食業者、小売業者の名称である。本項では東京都にあるすき焼き専門店「今半本店」と、同店をルーツとする東京都内の4事業者について解説する。
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[編集] 今半本店
今半本店(いまはんほんてん)は浅草の新仲見世通り沿いに店舗を構える、すき焼き専門店。所在地は東京都台東区浅草一丁目19番7号。後述の
は今半本店をルーツとしているが、2004年時点ではそれぞれ直接の関係はなく、独立した経営を行っている。
[編集] 歴史
1895年(明治28年)、本所区吾妻橋の牛鍋屋として創業し、のちに浅草へ移った。関東大震災により店舗が焼失したが、その後新たに龍宮をイメージした豪華な店舗を建て、人々をあっと言わせた[1]。新店舗は木造3階建てで、店内には客用の風呂も設けられており、湯口はライオンを模ったものであった。和洋中の料理が取り揃えられ、金製のすき焼き鍋も用意されていた。同店には「今半御殿」との異名が付き[2][3]、店舗の絵葉書も作られた。永井荷風は同店をしばしば訪れており、店内の様子などを『断腸亭日乗』に書き記している。
この建物は太平洋戦争時に焼失しているため、同店は2007年現在「今半御殿」とは異なる建物で、すき焼き専門店として営業している。
[編集] 沿革
- 1895年(明治28年) - 本所区吾妻橋にて創業。
- 1912年(大正元年) - 浅草にて「今半」開店。
- 1921年(大正10年) - 暖簾分けにより、芝区三田に支店開業(のちの今半別館)。
- 1923年(大正12年) - 関東大震災により店舗焼失。のちに店舗を再建(今半御殿)。
- 1928年(昭和3年) - 暖簾分けにより、国際通り沿いに「浅草今半」開業。
- 太平洋戦争時 - 空襲により今半御殿焼失。
2007年現在、新仲見世通り沿いにて営業中。
[編集] 店名の由来
開業当時、関東地方で唯一の政府公認食肉処理場が芝区白金今里町にあり、ここから肉を仕入れていた店は店名に「今」の字を付けることが多かった[4]。今半の「今」の字は、ここから肉を仕入れていたことと、「今様」という語句に由来している。
「半」の字については、
とされている。
[編集] 今半別館
種類 | 株式会社(特例有限会社) |
---|---|
市場情報 | 非上場
|
本社所在地 | 東京都台東区浅草2-2-5 |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 日本料理店 |
外部リンク | http://www.asakusa-imahan.co.jp/ |
有限会社今半別館(-いまはんべっかん)は、浅草の伝法院通り近くにて、すき焼きを中心とした日本料理店「今半別館」を運営する企業である。所在地は東京都台東区浅草二丁目2番5号。同店の建物は登録有形文化財となっている。
[編集] 沿革
- 1921年(大正10年) - 今半(のちの今半本店)からの暖簾分けにより、芝区三田にて開業。
- 太平洋戦争末期 - 店舗が建物疎開のため取り壊される。
- 1950年(昭和25年)頃 - 浅草の伝法院通り近くにて開店。
- 2003年(平成15年) - 文化審議会が同店建物を登録有形文化財として登録するよう答申。
[編集] 建物
同店の建物は、今半(のちの今半本店)から暖簾分けを受けた当時の店主が、太平洋戦争後に「今半御殿」をイメージして建てさせたものである。1948年(昭和23年)から10年近くにわたって増築が重ねられ、21世紀には大規模な修繕工事がなされて、2007年現在の姿となっている。
数寄屋造りの木造2階建て。天井や欄間などに施された彫刻は、富山県から呼び寄せた井波彫刻の職人と、地元浅草の職人に腕を競わせたものである。細い材の組子や花形の隅板を多用した建具は、造られた当時「くどい」との批判もあったが、のちに目黒雅叙園など日本各地の料亭、旅館でも同様の建具が使われるようになった[7]。
建築史家の稲葉和也は、ビルの多い浅草にこのような建物が残っていることを「奇跡に近い」と述べている[8]。
[編集] 浅草今半(株式会社今半)
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場
|
本社所在地 | 東京都台東区西浅草2-17-4 |
設立 | 1956年3月 |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 精肉の加工販売、牛肉加工食品・弁当惣菜の製造販売など |
資本金 | 20百万円(グループ計) |
外部リンク | http://www.asakusaimahan.co.jp/ |
詳細は浅草今半を参照
株式会社今半(-いまはん)は、精肉の加工販売、牛肉加工食品や弁当などの製造販売を行う企業である。本社所在地は台東区西浅草二丁目17番4号。同社の関連企業には、すき焼きを中心とした日本料理店「浅草今半」を運営する「株式会社高伴」がある。
[編集] 商品
同社の商品は、
など。高級黒毛和牛肉を加工した食品が中心である。
同社の佃煮詰め合わせは、毎日新聞が発表するお中元ギフト、お歳暮ギフトの人気ランキング[9]にしばしば登場する人気商品である。人形町今半のウェブサイト[6]には、浅草今半(株式会社今半)が牛肉佃煮で日本一のシェアを持っている旨が記載されている(2007年9月現在)。
BSE騒動当時は佃煮の売上に深刻な[4]影響が出ていたため、新たに牛肉弁当を売り出したところ、のちに月1万食(2004年時点)の人気商品となった。
[編集] 沿革
- 1928年(昭和3年) - 今半(のちの今半本店)からの暖簾分けにより、国際通り沿いに開業。
- 1931年(昭和6年) - 法人化し、合資会社イマハンとなる。
- 1945年(昭和20年) - 牛肉の佃煮を考案、発売。
- 1952年(昭和27年) - 中央区日本橋人形町に日本橋支店を設ける。
- 1956年(昭和31年) - 改組し、株式会社今半となる。
- 同年 - 日本橋支店が「人形町今半」として独立。
- 1989年(平成元年) - 飲食店事業を分離し、株式会社高伴を設立する。
- 1995年(平成7年) - 高伴が浅草公会堂の隣に「浅草今半 オレンジ通り店」を設ける。
- 2007年(平成19年) - 高伴「浅草今半 国際通り本店」を新築しプレオープン(本格的な開店は2008年の予定)。
[編集] 店舗
- 精肉
- 東京都内の百貨店4店舗に、同社の精肉売場が設けられている。
- 弁当
- 東京都内の百貨店4店舗に、同社の弁当売場が設けられている。
- 佃煮
- 東日本を中心とした各地の百貨店などが、同社の佃煮を取り扱っている。
- 日本料理店「浅草今半」
- 高伴が浅草にて2店舗を運営している(国際通り本店、オレンジ通り店)。
(2007年9月現在)
[編集] 人形町今半
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場
|
本社所在地 | 東京都中央区日本橋蛎殻町1-4-5(本部) |
設立 | 1956年3月 |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 飲食店、精肉店、総菜店の運営、弁当の製造販売など |
資本金 | 43百万円(グループ計) |
売上高 | 93億円(2006年4月期) |
従業員数 | 775名(2007年2月末) |
関係する人物 | 高岡雨星 |
外部リンク | http://www.imahan.com/ |
株式会社人形町今半(-にんぎょうちょういまはん)は
- 飲食店、精肉店、惣菜店の運営
- 弁当の配達サービス
- 調味料(すき焼き割下、焼肉のたれ、他)の製造販売
などを行う企業である。本店を東京都中央区日本橋人形町2丁目9番12号に、本部を日本橋蛎殻町1丁目4番5号におく。
今半本店をルーツとする都内の飲食業者の中で、最も多くの飲食店舗を持つ事業者となっている(2007年現在)。
[編集] 商品、サービス
同社の「特製すき焼き弁当」は、樫の重箱にすき焼きとご飯が別々に詰められており、温かいまま注文先へ届けられる。1959年(昭和34年)から配達サービスが行われており、企業からの注文が多い。かつては「重役弁当」との通称[10]もあった。
同社は20種類以上のたれ、ドレッシング類を製造し、スーパーマーケットなどに出荷するメーカーでもある。同社の製造する割下は、日本で3位のシェアを持っている(国内メーカー別シェア、2007年の報道[11]より)。
[編集] 沿革
- 1952年(昭和27年) - 浅草今半の日本橋支店として開業。
- 1956年(昭和31年) - 浅草今半より独立し、有限会社人形町今半として法人化。
- 1985年(昭和60年) - 改組し、株式会社人形町今半となる。
- 1999年(平成11年) - 農林水産省から優良フードサービス事業者として表彰される。
[編集] 店舗
- 「人形町今半」
- すき焼、しゃぶしゃぶを中心とした日本料理店。東京都内を中心に8店舗を展開する。
- 「喜扇亭」
- 鉄板焼きステーキ店。港区赤坂に1店舗。
- 「今半万窯」
- 炭火焼料理店。渋谷区代々木に1店舗。
- 精肉店
- 関東地方の百貨店内を中心に展開している。
- 惣菜店
- 東京都内に独立型の2店舗をおくほか、百貨店内の4店舗でも惣菜を取り扱う。惣菜店の店名は「あったか惣菜」。
(2007年9月現在、グループの店舗を含む)
[編集] 代々木今半
しゃぶしゃぶ亭 代々木今半(しゃぶしゃぶてい よよぎいまはん)は、渋谷区代々木一丁目45番4号に店舗を構える、しゃぶしゃぶとすき焼きの専門店である。テレビ番組『出没!アド街ック天国』では、同店の牛タンしゃぶしゃぶを「日本初の牛タンしゃぶしゃぶ」として紹介している[12]。
同店では牛肉しゃぶしゃぶを注文した客に対し、肉を筒状に丸めて静かに鍋へ入れるよう勧めている。こうすることで、内側はレアのまま、外側に熱を通して食べることができる[13]。
[編集] 出典
- ^ 『産経新聞』東京朝刊 2006年4月16日25面
- ^ 『読売新聞』東京朝刊 2003年2月20日35面
- ^ 『産経新聞』東京朝刊 2004年3月16日26面
- ^ a b c 『東京新聞』首都版朝刊 2004年3月31日26面
- ^ 「今半の由来と現在」有限会社今半別館
- ^ a b 「今半物語」株式会社人形町今半
- ^ 『読売新聞』東京朝刊 2003年3月6日35面
- ^ 『読売新聞』東京朝刊 2003年2月27日37面
- ^ 『毎日新聞』東京朝刊 2005年6月27日8面、2005年12月5日8面、2006年12月4日9面、2007年6月18日9面(これらの記事には、小田急百貨店のデータが使われている)
- ^ 『毎日新聞』東京朝刊 1999年3月23日21面
- ^ 『フジサンケイ ビジネスアイ』2007年4月30日2面
- ^ テレビ東京『出没!アド街ック天国』2003年2月1日放送分
- ^ 『日食外食レストラン新聞』2007年7月2日号