ヴェネツィア共和国
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ヴェネツィア共和国はヴェネツィアを中心にして発展した海洋国家で、強大な海軍力と交易による富を背景に「アドリア海の女王」として君臨した。1000年もの歴史を誇ったが1797年にナポレオンのフランス帝国(第一帝政)により崩壊した。1815年にナポレオンが失脚し、ヴェネツィアは解放されたが、大国主導のウィーン会議によってイタリア最古の都市国家は、独立を失った。
最盛期の領土は、現在のイタリア共和国のヴェネト州、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州、ベルガモをはじめイストリア半島やアドリア海沿岸の都市、キプロス島など地中海の広範囲に及んでいた。
国家元首はイタリア語の現地での方言で「ドージェ」(原義は「指導者」。公爵と同じ語源。)と言う。海の平和を祈りドージェが指輪を海に落とす慣習があった(海との結婚。現在は市長が行っている)。
[編集] 年表
- 5世紀頃 - 外敵から逃れて干潟へ移住。
- 697年 - 初代元首が選出される。当初は東ローマ帝国宗主権下の自治領という位置付けであった。
- 726年 - 東ローマ帝国から、自治権を獲得
- 810年 - フランク王国を撃退。
- 828年 - ヴェネツィアの守護聖人が聖マルコに。
- 1099年 - 第1回十字軍に参加。
- 1204年 - 第4回十字軍に参加しコンスタンティノポリスを占領。クレタ島など獲得。
- 1258年 - ジェノヴァ共和国と激突。以後4度にわたる戦役に。
- 1284年 - 貨幣「ドゥカート」を発行。
- 1290年 - ハンガリー国王にヴェネツィアの名家モロシーニ家出身のエンドレ3世が即位。
- 1310年 - 元首ピエトロ・グラデニーゴによる改革に反発するクーデターが発生(失敗)、以後共和国の政治は事実上の寡頭政に移行する。
- 1355年 - 元首マリーノ・ファリエロが王政を目指しクーデターを起こすも失敗し死刑に。
- 1381年 - ジェノヴァとの戦役に勝利。
- 1423年 - テッサロニキを獲得。
- 1454年 - イタリアの五大国とローディの和を結ぶ。これによってイタリア諸都市国家は、イタリア戦争の勃発まで平和の時代に入った。
- 1463年 - オスマン帝国との戦争に突入。以後7度にわたる戦役に。
- 1489年 - キプロス島を獲得。
- 1508年-1516年 - カンブレー同盟戦争
- 1538年 - プレヴェザの海戦
- 1571年 - オスマン帝国により、キプロス島陥落。レパントの海戦に参加し勝利するも奪還できず。(1573年、オスマン帝国との講和により、キプロス島完全喪失)
- 1645年-1656年 - オスマン帝国に対する海上封鎖。
- 1669年 - オスマン帝国にクレタ島を奪われる。
- 1683年 - オスマン帝国の第二次ウィーン包囲失敗後に反オスマンの神聖同盟に参加。
- 1699年 - カルロヴィッツ条約でアドリア海沿岸をオスマン帝国から奪還。
- 1797年 - ナポレオンが侵入し滅亡。
- 1815年 - ウィーン会議でオーストリア帝国領になる。
[編集] 関連項目
- ヴェネツィア共和国のドージェ一覧
- ヴェネツィア派
- ヴェネト共和国 - 1848年に、オーストリアから独立した。
- 塩野七生「海の都の物語」の著者