ヴァンデの反乱
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ヴァンデの反乱(-はんらん)は、フランス革命期に発生した王党派の反乱。別名「ヴァンデ戦争」。フランス西部にあるヴァンデ地方の農民たちによって1793年に始まり、ナポレオンが 1801年に正式に終結させるまでに、正確な数は不明だが30~40万ともいわれる死者を出した。革命中、最も凄惨な殺戮が行われその後は近年になるまで忘れ去られていたが、 現在のフランスでも語ることはタブー視されている。
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[編集] 概要
[編集] 武装蜂起
元々、ヴァンデを中心とするフランス西部は信仰心のあつい地域だった。1789年に勃発したフランス革命には当初は好意的で領主権や十分の一税の廃止を喜んで受け入れたが、その後行われた教会と僧侶に対する弾圧、国王処刑、増税、30万人募兵の不公平に反感を持つようになった。
そうしたなか、司祭に扇動されて30万人動員令に基づく義勇兵を決めるくじ引きが予定されていた1793年3月11日、メーヌ=エ=ロワール県ショレの人々が決起、各地の農民も蜂起しわずか10日余りの間にフランス西部の3分の2の地域で騒乱状態となった。指導者にはそれぞれ軍人である地方貴族を担ぎ上げて、各地の反乱軍と合流しながら政府軍を打ち破り、ヴァンデ地方を支配下に置いた。国民公会は3月19日、「武器を所有している反乱者全員を処刑し、その財産を没収する」という厳しい処置を取ったが、国境に国民衛兵を送っているため兵力が不足しており、鎮圧することができなかった。反乱軍は次第に力を持ち始め、政府が国境の軍隊を配備しても、思うような成果はあげられなかった。
反乱軍は自らを「カトリック王党軍」と名乗り、その人柄から最高司令官を行商人出身のジャック・カトリノーを選んだ。その頃は連戦連勝で拡大しながら、ブルターニュのふくろう党と合流するため、6月にナント市を攻略した。しかし、ナント市民は政府軍と協力して徹底抗戦したため、撤退を余儀なくされる。その際、最高司令官のカトリノーが戦死。そのためこの反乱はそれ以上広がらなかったものの国内の商業及び軍事活動は妨げられ、ジロンド派に非難が集中した。
[編集] 政府軍の反撃
そうしたなか8月に国民公会は政府軍にヴァンデの破壊命令を出す。それを受けて政府軍は森林、畑、家、教会を荒らし、人間を無差別に殺害した。一方、反乱軍では退却後、カトリノーの死の影響が大きく離脱者が続出し統制が取れなくなっていた。英仏海峡を目指して転進したがグランヴィルの前面で退けられ、敗退を続け、食糧もなく疫病が流行り士気も低下した。にもかかわらず政府軍の無差別攻撃により逃げ出してきた村民をも含め10余万人にも膨れ上がってしまった。彼らは遂に諦めて故郷に帰ろうとロカール川を越えて北上したが、サヴォネーの町での戦闘で壊滅した。捕虜になった者はナントに連行され、ロカール川に浮かぶ廃船に積み込まれて沈められた。
[編集] その後
その後も政府は「地獄部隊」と名付けられた連隊を派遣し、同様の作戦を続けたため、ヴァンデ地方では反乱は小規模なゲリラ戦に形を変え続いたが、1794年に反乱鎮圧に派遣されたルイ=ラザール・オッシュが軍司令官として赴任すると、捕虜の農民兵との面談から、農民が反乱に加わったのは 宗教的自由のためであって、寛容政策をとれば彼らは王党派反乱から離脱するだろうということを発見。この政策変更で、1795年2月までに功を奏してヴァンデ反乱軍は瓦解し始める。同年6月15日、イギリスの支援で王党派部隊がギブロンに上陸したが撃退されて大半が捕虜になりヴァンデ反乱軍は致命的な一撃を受けた。執拗にゲリラ戦を続けていた最後の生き残りの指導者シャレットも検挙されて銃殺された。オッシュは1796年までにヴァンデ地方の平定を宣言。 1801年には、ナポレオンがローマ教皇と和解し、ヴァンデに対して数々の復興の政策を講じることでこの反乱は完全に終結した。
[編集] 関連項目
[編集] 反乱に参加した人物
- ジャック・カトリノー:初代総司令官
- ルイ・ド・エルベ:総司令官(2代目)
- アンリ・ド・ラ・ロシュジャクラン:総司令官(3代目)
- フランソワ・ド・シャレット:反乱から離反。「下ヴァンデ軍」を設立。
- ベルニエ司祭:反乱における行政機関、最高評議会代表。従軍司祭長。
[編集] 反乱鎮圧にあたった人物
- ルイ・ラザール・オッシュ
- トマ=アレクサンドル・デュマ
- フランソワ=セヴラン・マルソー
- ジャン=バティスト・クレベール
- フランソワ=ジョセフ・ウェステルマン
- ルイ・マリー・テュロー
[編集] 関連作品
[編集] 外部リンク
- Les Guerres de Vendée
- Douze colonnes à la une, par Gilles Marchal
- Histoire de Noirmoutier (essentiellement pendant la période révolutionnaire)
- Histoire de la Bretagne et des Pays de la Loire
- Site de l'association Vérité pour la Vendée, qui se donne pour but la reconnaissance du terme génocide concernant le massacre des Vendéens pendant les guerres de Vendée.
- Les guerres de vendée dans le bressuirais (Pierre Vay)