レイ・マーサー
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基本情報 | |
---|---|
本名 | レイ・マーサー |
通称 | Merciless(無慈悲) |
階級 | ヘビー級 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1961年4月4日(47歳) |
出身地 | フロリダ州, ジャクソンビル |
命日 | |
死地 | |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 42 |
勝ち | 35 |
KO勝ち | 26 |
敗け | 6 |
引き分け | 1 |
無効試合 | 0 |
オリンピック | ||
---|---|---|
ボクシング | ||
金 | 1988 | ヘビー級 |
レイ・マーサー(Ray Mercer、1961年4月4日 - )は、アメリカ合衆国のプロボクサー。第2代WBO世界ヘビー級チャンピオン。「Merciless(無慈悲)」の異名を持っている。鋭いジャブと打たれ強さが特徴。
ボクシングの他にもK-1(キックボクシング)、総合格闘技の試合に出場したが、40歳を過ぎてからの他競技への挑戦ということもあり、こちらでは成功しなかった。
目次 |
[編集] 略歴
- 1988年、ソウルオリンピックのアマチュアボクシングのヘビー級で金メダルを獲得。
- 1989年、28歳でプロ転向。
- 1990年8月5日、バート・クーパーを破り、NABF(北米)ヘビー級タイトルを獲得。
- 1991年1月11日、無敗の初代WBOヘビー級王者フランチェスコ・ダミアニに挑戦。9回KOで勝利し、第2代WBO世界ヘビー級王者となる。
- 1991年10月18日、次戦となる初防衛戦では当時、全米屈指の人気を誇った白人スター選手のトミー・モリソンをKOし一躍、世界中にその名を知られる事となる。しかし、王座を放棄。
- 1992年2月7日、WBO王座を放棄し、ラリー・ホームズと対戦するが、12回判定負け。
- 1993年2月6日、ジェシー・ファーガソンと対戦。マーサーがこの試合に勝利した場合、リディック・ボウとの対戦と150万ドルの報酬が約束されていた。試合はファーガソンが判定で勝利したが、マーサーは試合中にファーガソンに10万ドルで自分に勝ちを譲るよう贈賄による八百長を再三持ちかけていた事が判明。ファーガソンは信仰上の理由でこれを拒否したが、マーサーはスポーツ贈収賄の容疑でマンハッタン地方裁判所に告訴された。[1]
- 1993年11月19日、ジェシー・ファーガソンと再戦し判定2-1で勝利。
- 1994年7月28日、マリオン・ウィルソンと対戦。判定1-1で引き分け。
- 1995年5月20日、イベンダー・ホリフィールドと対戦。プロキャリア初のダウンを喫し10回判定負け。
- 1996年5月10日、レノックス・ルイスと対戦。10回判定(2-0)で惜敗。
- 1996年12月14日、ティム・ウィザスプーンに判定で勝利する。
- この後、有名選手と対戦することはなく5年間で5試合を消化したのみであった。
- 2002年1月19日、マイク・タイソンとの対戦が予定されていたが実現せず。
- 2002年6月29日、ウラジミール・クリチコのWBO世界ヘビー級王座に挑戦。10年前に自身が保持していたタイトルへの再挑戦という構図の試合であったが初回にマウスピースを吐き出し大の字に倒れた。立ち上がり、その後6Rまで試合を続行するも結果はTKO負け。
- 2003年12月31日、INOKI BOM-BA-YEで藤田和之との対戦が発表されていたが実現せず。結局、出場したのは元IBFクルーザー級王者、イマム・メイフィールドだった。
- 2004年6月6日、K-1初参戦となった『K-1 WORLD GP 2004 in NAGOYA』で武蔵と対戦。ハイキックを浴びダウンを喫し判定負け。
- 2005年3月19日、『K-1 WORLD GP 2005 in SEOUL』でレミー・ボンヤスキーと対戦。開始早々ハイキックを浴びて戦意喪失。KO負けとなった。
- 2005年6月24日、2年半ぶりにボクシングに復帰。8月26日にシャノン・ブリッグスと対戦するが7回KO負け。その後、ブリッグスはかつてマーサーが保持していたWBOヘビー級王座に就く事になる。
- 2007年6月23日、46歳で総合格闘技の試合に初挑戦するが、同じく総合格闘技初戦のキンボ・スライスにギロチンチョークで敗れた。
- 2007年9月15日、スウェーデンで2年ぶりにボクシングに復帰する。Mikael Lindblad(37歳、戦績24勝5敗)と対戦し、1回KO勝ち。
- 2008年1月26日、マカオでのNABO・ABCO・WBFインターナショナルヘビー級王座決定戦でディリック・ロージーと対戦し12R判定負け。
[編集] 戦績
[編集] プロボクシング
プロボクシング 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
42 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
35 勝 | 26 | 1 | 0 | |||
6 敗 |
[編集] プロキックボクシング
キックボクシング 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
2 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
0 勝 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
2 敗 | 1 | 1 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | レミー・ボンヤスキー | 1R 0:22 KO(右ハイキック) | K-1 WORLD GP 2005 in SEOUL | 2005年3月19日 |
× | 武蔵 | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2004 in NAGOYA | 2004年6月6日 |
[編集] 総合格闘技
総合格闘技 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
1 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
0 勝 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1 敗 | 0 | 1 | 0 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | キンボ・スライス | 1R ギロチンチョーク | Cage Fury Fighting Championship 5 | 2007年6月23日 |
[編集] 獲得タイトル
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
前優勝者 ヘンリー・ティルマン |
ソウルオリンピックボクシングヘビー級優勝 |
次優勝者 |
前王者 フランチェスコ・ダミアニ |
第2代WBO世界ヘビー級王者 1991年1月11日 - 1992年(剥奪) |
空位 次タイトル獲得者 マイケル・モーラー |