ミスター・ポーゴ
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ミスター・ポーゴ
ミスター・ポーゴ | |
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プロフィール | |
リングネーム | ミスター・ポーゴ |
本名 | 関川哲夫 |
ニックネーム | 裏切りの極悪大王 |
身長 | 185cm |
体重 | 130kg |
誕生日 | 1951年2月25日 |
出身地 | 群馬県伊勢崎市 |
所属 | WWS |
デビュー | 1972年3月20日 |
ミスター・ポーゴ(1951年2月25日 - )は、群馬県伊勢崎市出身のプロレスラー。本名関川哲夫(せきかわ・てつお)。一時期「ザ・グレート・ポーゴ」、「ポーゴ大王」、「大ポーゴ大王」を名乗ったこともある。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] FMW参戦まで
群馬県議会議長を務めた父の子として生まれ、坊ちゃん扱いされて育つが、父が亡くなると周囲の人間が手の平を返すような態度をとるのを目の当たりにし、「腕っ節で強くなってやる」という思いを強くする。
高校時代から柔道で鳴らし、中央大学法学部進学後(ジャンボ鶴田と同期)も柔道を続ける。1971年春に大相撲大鵬部屋に入門。次いでプロレスラーを志望し、高校時代の仲間であるグラン浜田に付き添ってもらって、旗揚げ間近の新日本プロレスに入門志望へ向かい入門を認められる。なおこの時、付添い人の浜田も柔道の実績を買われ入門を命ぜられている。
関川は藤波辰爾とのデビュー戦(1972年3月20日・東京・足立体育館)後、旗揚げの1シリーズのみで「こんな島国にはいたくない!」と新日本を脱退。1973年に単独でアメリカ修行に向かう。
もともと体格に恵まれていた関川は、アメリカ人レスラー相手に喧嘩ファイターのスタイルに開眼する。南部のテリトリーで活躍し、ハーリー・レイスなどと抗争を展開した。レイスとの決着戦は金網デスマッチで、満員の観客を動員した。
アメリカでの活躍を認められ、1976年国際プロレスのリングで日本凱旋。その後古巣新日本プロレスにも参戦。1986年7月25日、ケンドー・ナガサキとのコンビでIWGPタッグ王座に挑戦している(王者組は藤波辰爾・木村健悟組)。ちなみに、国際プロレスに上がった頃はかなりの巨漢で公称130kgに納得感があったが、古巣新日本に参戦した頃は格段にスリムになっていて、別人説が出るほど関係者を驚かせた。
なお、アメリカでは「ミスター・セキ」または「ミスター・トーゴー」(Mr.TOGO)のリングネームで戦っていた。ある日、会場にあった対戦表に、「ミスター・トーゴー」が「ミスター・ポーゴ」(Mr.POGO) と誤記されてしまう。これが「ミスター・ポーゴ」の由来である。
[編集] FMW参戦後
1990年6月、FMWに初参戦。大仁田厚とWWAブラスナックル王座を巡って流血の抗争を繰り広げる。このまま大仁田最大のライバルに収まるかに見えたが、ポーゴの流転癖は直っていなかった。
1991年、FMWの関係者が独立して設立した「W★ING」に移り、松永光弘らと同団体の過激デスマッチ路線を推進する。オリジナルの火炎噴射を使い出したのもこの頃。しかしW★INGも1993年に離れ、FMWにUターン。火炎噴射に加え、鎖鎌で相手を切り刻んだり、チェーンで首吊りにするなどの凶器を使用したヒール殺法に磨きがかかる。
W★ING崩壊で松永光弘、金村ゆきひろ(現・金村キンタロー)らもFMWに現れ、ともに「W★ING同盟」を結成。大仁田引退までライバルとして抗争を続ける。
大仁田厚引退後は、松永らと分裂して新生FMWのデスマッチ路線を牽引するが、1995年10月に突如フリー宣言。「大仁田以上に燃えられる相手がいない」というのが理由だったとされる。WAR、みちのくプロレス、IWAジャパンなどのインディー団体を股にかける。
1996年、膝の悪化を理由に引退。引退試合には大仁田が復帰した。ポーゴのキャラクターは五所川原吾作に譲る。が、翌年復帰。大日本プロレスなどに参戦。大日本では、デスマッチヘビー級王座の初代王者に輝いた。
2005年、伊勢崎市に焼き鳥屋「串焼きダイニングうずら」をオープン。その後、2007年1月10日、同店を料理店「味処ぽーごちゃん」にリニューアルオープンさせた。
2007年2月、出血性胃潰瘍を発症し、伊勢崎市民病院に緊急入院。3週間の入院生活を余儀なくされるも、無事退院。後遺症による右足の痛風に見舞われながらも、料理店を3月に営業を再開させ、試合も5月のWWS伊勢崎大会で復帰を果たした。
[編集] 味処ぽーごちゃん
食通だった父親の影響から、食べ歩きが趣味で、アメリカ・プエルトリコ等の修行先や、転戦してきた日本各地で食べ歩きを重ねるうちに、自ら味わった各地の料理を自分の手で提供したいという思いから、2005年の焼き鳥屋を経て、2007年に開店。
激辛の火鍋ちゃんこ(920円)や、激辛スープカレー(750円)と、火焔攻撃を武器とするポーゴならではの激辛メニューが、真の辛党から絶賛されているという。
所在地:伊勢崎市今泉町1-1527-2
営業時間:18:00~24:00
定休日:日曜日
[編集] 獲得タイトル
- 世界ブラスナックル
- BJW認定デスマッチヘビー級王座(初代王者)
- ノースアメリカンヘビー
- セントラルステーツ選手権
- 世界ブラスナックルタッグ
- WWA世界タッグ
- W★ING認定世界タッグ
- バーブドワイヤーストリートファイト世界6人タッグ
[編集] 評価
妥協ない反則攻撃や「俺様に勝つには100万光年早いんだよ!」などの威張りきった言動とは裏腹に、怖いものはなんですか、との問いに「お化け」とまじめに答えたり、怖じ気づいて「もうこんなの嫌だよ」と弱音を吐いたり、入門時のシゴキの数々や新日離脱の経緯もあり、日本に帰国してからも、山本小鉄の前では常に直立不動だったりと、ヒールらしからぬ様を見せることがあった。だが、それがレスラーとしての人間臭さとして、ポーゴ独特の魅力の源泉となっていたことも事実である。
日本のメジャー団体で落伍し、腕一本でのし上がった様は大仁田厚とも共通する。有刺鉄線や地雷に正面からぶつかっていく姿勢にプロ意識を感じたファンも少なくない。修行時代リック・フレアーとともにサーキットした経験がものをいっている。センセーショナルな武器に目がいきがちであるが、その裏づけとなる精神はまさしく一流のレスラーと呼ぶに足るものである。
[編集] その他
- 2003年の伊勢崎市市議会議員選挙に立候補し、1,059票を集めたものの、落選した。その際ペイントして議会に出ることを公約した。
- 寿司好きで有名。魚を鎖鎌でさばいたり、火炎噴射で魚を焼いたり、といったパフォーマンスも行っている。
- 好きな女性のタイプはオリビア・ニュートンジョンという。好きな歌手としてノリコ・アワヤ(淡谷のり子)と言っていたことも。
- 漫画家のあだち充とは、高校の同級生であり雑誌で対談した事がある。この対談によると、あだちのヒット作『タッチ』の登場人物・松平孝太郎はポーゴがモデルだと言うことである(あだちのリップサービスの可能性もあるが……)