ミサ
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ミサはキリスト教、カトリック教会でおこなわれる聖体祭儀のこと。司祭が執り行い、信徒が参加するカトリック教会のもっとも重要な典礼儀式である。古代以来1960年代までラテン典礼におけるミサはすべてラテン語でおこなわれていたが、第2バチカン公会議以降の典礼改革により各国語でおこなわれることになった。「ミサ」という名称は式の最後のラテン語の言葉「Ite, missa est」(ミサを終わります。行きましょう。)というフレーズの中の語に由来している。
これに相当する礼拝形式を正教会では聖体礼儀(せいたいれいぎ)という。英語圏の正教会ではこれもミサと呼ばれることがあるが、ギリシャ語・ロシア語では正教会の奉神礼である聖体礼儀を指して「ミサ」と呼ぶ事は皆無である。
なおカトリックにおいても東方典礼カトリック教会においては、ビザンチン式などラテン典礼と異なるミサが行われることがあり、その場合の詳細な式次第などは後述と異なる場合がある。
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[編集] 概説
キリスト教はもともとユダヤ教の中から生まれたため、 聖体祭儀(ミサ)もユダヤ教のシナゴーグでおこなわれていた礼拝の形式(聖書の朗読と説教、祈り)に、キリスト教徒がイエス・キリストの最後の晩餐を記念しておこなっていた聖体の典礼と会食が組み合わされて出来たものである。
聖体祭儀には地方・時代においていくつかの形式が生まれたが(ミラノ典礼、アンティオキア典礼など)、通常ミサというときはローマ典礼をあらわす。そもそもミサという語自体がローマ典礼のラテン語典礼文に由来する。ローマ典礼はバチカンの布教省の配下にある司教区で(つまりは世界中のほとんどで)行われている。日本もローマ典礼である。
ミサは基本的に聖堂や教会堂においておこなわれるが、特別な場合は屋外や一般の室内でおこなわれることもある。カトリックでは司祭は毎日必ずミサを捧げなければならないため、ミサは毎日執り行われている。ミサを執行することを「ミサをたてる」ともいう。司祭が一人でミサをたてることもあるが、通常はミサに参加する信徒(会衆)と共におこなわれる。信徒は特に毎日曜日(主日という)といくつかの日曜日以外の祭日のミサにあずかることがのぞましいとされている。
ミサにはすべてのミサに共通の部分と、そのミサの目的や日時によって変わる部分がある。前者を通常文、後者を固有文という。
かつて20世紀半ばまではミサのおこわなれる時間がきびしく制限されており、クリスマスと復活祭の前夜を除いて午後一時から夜明けの一時間前以前までおこなうことができなかった。今ではこの制限は廃止されている。また、現代では土曜日の夕方以降におこなわれるミサも日曜日のミサとして扱うことができるため、日曜日にミサに参加できない信徒は、かわりに土曜日の夜のミサに参加することがある。信徒の便宜をはかるため、多くの教会では土曜日の夜にもミサがおこなわれている。
また以前はミサの前は日付が変わってからミサまでの禁食が義務付けられていたが、現在ではミサの1時間前からの禁食に緩和されている。ただし水・薬は禁食の対象ではない。
カトリック教会の典礼は1960年代の第2バチカン公会議を反映して改革され、典礼言語としてラテン語以外にそれぞれの国や地域の言語を使うことができるようになった。日本でも、昭和30年代まで、カトリック教会の礼拝はラテン語で行われていたのである。なお、この改革以前の、トリエント・ミサとよばれる礼拝形式から、英国教会の聖餐式やルーテル教会の礼拝が生まれた。儀式を外面から眺める限り、これらの教会の礼拝はよく似ている。
かつてミサは司祭一人であげ、信徒に背を向ける形で祭壇に向かっておこなわれていた(背面式)が、第2バチカン公会議以降の改革でミサ本来の意味が再検討され、数人の司祭によるミサの挙行(共同司式)もみとめられ、式自体も司祭が信徒に向かう形(対面式)でおこなわれるようになった。
[編集] ミサの式次第
以下、ローマ典礼における現行のミサ式次第(ノヴス・オルド)を解説する。
[編集] 開祭の儀
司祭が入堂し、祭壇についてミサを開始する。会衆がいる場合、ミサの初めには「入祭の歌」として聖歌が歌われることが多い。入祭の歌は義務ではないが、歌わない場合は入祭唱を唱えなければならない。はじめに司祭と信徒の間で挨拶がかわされ、初めの祈りが唱えられる。次に悔い改めの祈り、「主よ、あわれみたまえ」(キリエ)が唱えられ、待降節および四旬節以外の主日と祭日には「栄光唱」(グローリア)が唱えられる。
[編集] ことばの典礼
次に「ことばの典礼」といわれる部分に入る。ここでは平日には二つ、主日と祝日には三つの聖書からの部分が朗読される。それらの朗読は第一朗読、第二朗読(主日と祝日のみ)、福音朗読といわれる。
第一朗読では通常、旧約聖書が読まれるが、復活節に限って『使徒言行録』か『ヨハネの黙示録』が朗読される。第二朗読は使徒の書簡おもにパウロの手紙が朗読される。第一朗読の後には、答唱詩編という先唱者と会衆による章句の繰り返しと詩編の朗読がおこなわれるが、通常のミサでは歌われることが多い。アレルヤ唱(四旬節は詠唱)のあとでおこなわれる福音朗読はその名前のとおり、福音書が朗読される。第一朗読、第二朗読は信徒が朗読することが多いが、福音朗読は司祭もしくは助祭がおこなうことになっている。福音朗読時、会衆は起立することになっている。現代の日本のほとんどのカトリック教会では『新共同訳聖書』が用いられている。
福音朗読に続いて、司祭(あるいは助祭)による説教がおこなわれる。説教では通常、その日の福音や聖書朗読の解説がされることが多い。主日と祭日には説教の後で「信仰宣言」がおこなわれる。 ミサの国語化以来、日本の教会は洗礼式に用いられる略式の信仰宣言を用いるか、ごくまれに文語訳のニケア・コンスタンチノープル信条(Credo)を用いてきたが、2004年に口語訳のニケア・コンスタンチノープル信条が司教団より公式に発表された。従来の使徒信条を唱えることもできるが、略式の信仰宣言は廃止された。
信仰宣言につづき、そのときに応じて意向で唱える共同祈願という祈りが唱えられる。
[編集] 感謝の典礼
ことばの典礼が終わると、ぶどう酒と水、「ホスチア」(聖体となる小麦粉を薄く焼いた食べ物)が祭壇へ準備される。(これを奉納という。)ここから始まる「感謝の典礼」はイエスの最後の晩餐に由来するものとされ、ミサの中心的部分である。次に司祭によって奉献文という祈りが唱えられ、会衆と共に『黙示録』に由来する賛美の祈り「聖なるかな(サンクトゥス)」が唱えられる。
次に聖体変化がおこなわれる。ここでは司祭が、ぶどう酒とホスチアをとって、イエスが最後の晩餐で唱えた言葉を繰り返す。これによってホスチアとぶどう酒がイエスの体と血に変わるというのが伝統的なカトリック教会の教義であった。神学用語では「実体変化」(Transsubstatiation)といわれ、これについては歴史上多くの議論がおこなわれてきた。
プロテスタント諸派では、宗教改革以降、ぶどう酒とホスチアが本当にイエスの体に変わるわけではなく、単なるシンボルにすぎないと考え、カトリック教会はトリエント公会議での議論によって改めてこれを否定、現代に至っている。ただ、現代のカトリック教会は中世のカトリック教会のように、決して小麦粉のホスチアが物理的・科学的な次元でイエスの肉体に変わるという意味で捉えているわけではなく、あくまで霊的・宗教的な意味・次元での変化として捉えていることに注意してほしい。
[編集] 交わりの儀
福音書の中でイエスが弟子たちに教えたとされる「主の祈り」がとなえられ、司祭の祈願につづいて「平和の挨拶」という参加者同士のあいさつがおこなわれる。さらに「神の小羊(アニュス・デイ)」の祈りが続き、司祭は聖体を裂いて一部をぶどう酒に浸す。司祭が聖体を食べ、ぶどう酒を飲む。聖体を食べ、ぶどう酒を飲むことを聖体拝領という。司祭は続いて聖体を会衆に配り、会衆も聖体拝領をおこなう。通常は聖体のみだが、場合によっては会衆もぶどう酒を飲むこともある。聖体拝領が終わると、司祭が拝領後の祈りを唱えて交わりの儀がおわる。この場合の「交わり」というのは、神と人との交わり、参加者同士が同じ聖体を受けて交わるという意味である。
[編集] 閉祭の儀
拝領後の祈りのあと、会衆への連絡などがおこなわれることがある。続いて司祭の祝福とミサからの派遣がおこなわれる。ミサの終わりにも「閉祭の歌」として聖歌が歌われることが多い。司祭と会衆との間に交わされる最後の交唱でミサは終わりなので、閉祭の歌そのものは義務ではない。
[編集] キリスト教以外の用例
浪曲師・イエス玉川の独演会や、日本のヘヴィメタル・バンドの『聖飢魔II』のコンサートは「ミサ」と呼ばれる。