ホセ・クルーズ・ジュニア
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ホセ・クルーズ・ジュニア Jose Luis Cruz Jr. ヒューストン・アストロズ No.22 |
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基本情報 | |
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出身地 | プエルトリコ アローヨ |
生年月日 | 1974年4月19日(34歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9cm 190 lb =約86.0kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1995年 ドラフト1巡目 |
初出場 | 1997年5月31日 |
年俸 | $650,000[1](2008年) |
経歴 | |
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■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
ホセ・クルーズ(Jose Luis Cruz Jr. , 1974年4月19日 - )は、メジャーリーグベースボール・ナショナルリーグ中地区のヒューストン・アストロズ所属、右投両打の外野手。プエルトリコのアローヨ出身。
目次 |
[編集] 略歴
[編集] プロ入りまでの経緯とメジャーデビューまでの軌跡
1992年6月1日、ドラフト15巡目でアトランタ・ブレーブスから指名を受けた。しかし、クルーズはプロ入りを蹴って、ライス大学へと進学した。1995年6月1日、今度はシアトル・マリナーズからドラフト1巡目で指名を受け、プロ入り。プロ2年目となる1997年5月31日に、マリナーズでメジャーデビューを果たした。メジャーに昇格したクルーズは、49試合で12本塁打を放つ活躍ぶり。しかし、7月31日にポール・スポルジャリック、マイク・ティムリンの2選手とのトレードで、トロント・ブルージェイズに移籍。しかしクルーズは、1年目のシーズン中移籍という騒動にもめげず、ブルージェイズでも長打を量産。最終的に104試合の出場で、26本塁打を記録した。この活躍ぶりが評価され、ルーキー・オブ・ザ・イヤーの筆頭好捕とも目されたが、凄まじいばかりの成績を残したノマー・ガルシアパーラ(当時ボストン・レッドソックス所属)にタイトルを持って行かれ、無念の2位となってしまった。
[編集] トロント・ブルージェイズ時代
1997年のシーズン途中に移籍してきたときは、55試合で14本塁打を記録するパワーを見せ付けたが、メジャー2年目となる1998年はホームランの生産ペースが落ち、1997年よりも1試合多い出場試合数で、ホームランの本数は15本も減少してしまった。翌1999年も成績が振るわず、ルーキーイヤーの輝きを取り戻す事無く終わってしまうのかと思われたが、2000年にはパワー復活。シーズン全162試合にフル出場し、31本塁打を記録した。しかし一方では打率が.242に留まり、三振も129三振を喫してしまうなど、打撃面での課題が見え隠れしたシーズンだった。翌2001年には30-30クラブ(30本塁打30盗塁)を達成。一躍、スター選手の仲間入りを果たした格好となったが、2002年、何が起こったのか成績が急落。シーズンオフの12月21日にフリーエージェントの権利を得るに当たって、尻すぼみになってしまった。
[編集] サンフランシスコ・ジャイアンツ時代
2002年12月21日に、フリーエージェントとなっていたクルーズは、年が明けて2003年1月28日に、サンフランシスコ・ジャイアンツと契約を結んだ。2003年を、ジャイアンツでプレイしたクルーズは、打撃3部門の数字こそ平凡な成績に終わってしまうものの、自身初の100四球をクリアし、ゴールドグラブ賞に選出されるなど、少なからず収穫のあったシーズンとなった。10月22日には、自身2度目となるフリーエージェントに。
[編集] タンパベイ・デビルレイズ時代
2003年10月22日にフリーエージェントとなり、年内の12月17日には早くもタンパベイ・デビルレイズとの契約をまとめたクルーズ。しかし2004年は、何故かモチベーションが下がりに下がってしまい、前年にゴールドグラブ賞に輝いた選手にも関わらず、ア・リーグ最多となる10失策を記録してしまった。年が明けての2005年2月6日、アリゾナ・ダイヤモンドバックスへとトレード放出された(交換要員の1人はケイシー・フォッサム)。
[編集] 2005年シーズン以降
2005年はあわただしいシーズンとなった。開幕をダイヤモンドバックスで迎えたクルーズだったが、7月30日にケニー・ペレス、カイル・ボーノの2選手(ともに当時マイナーリーガー)とトレードでレッドソックスへと移籍。しかし、成績が振るわなかった為、8月9日にはウェーバーにかけられ、ロサンゼルス・ドジャースと契約した。 2006年はドジャースでプレイしたものの、成績不振でシーズン途中に解雇。2007年は、パドレスと契約したが、やはり成績不振で8月1日に解雇。8月18日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結び、傘下の3Aでプレイ。
[編集] クルーズ・ベースボール・ファミリー
ホセ・クルーズ・ジュニア(Jr.)とされている事からも分かるように、現在ヒューストン・アストロズでファーストの走塁コーチを務めているホセ・クルーズの息子(現役時代もアストロズなどでプレイ)。更に叔父のヘクター・クルーズとトミー・クルーズはそれぞれ、読売ジャイアンツと北海道日本ハムファイターズ(当時は日本ハムファイターズ)でプレイした事もある元メジャーリーガーである。
[編集] 選手としての特徴
[編集] 打撃面
フル出場すれば、20~25本のホームランを放つパワーがある。しかし一方で、ミート力は低く、三振も多い。.270を超える打率をシーズントータルでマークした事は1度だけである。選球眼は比較的優れており、調子が悪いシーズンでも.350前後の出塁率を残している。
[編集] 守備・走塁面
走塁面では、2000年前後をピークに盗塁の数が著しく落ちている。今では平均的な走塁技術。守備面ではゴールドグラブ賞を獲得したシーズンもあり、堅実な動きを見せる。
[編集] 獲得タイトル
- ゴールドグラブ賞1回(外野手・2003年)
[編集] 年度別打撃成績
[編集] 通算打撃成績
年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 四球 | 三振 | 打率 | 出塁率 | 長打率 |
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1997 | ※1 | 104 | 395 | 59 | 98 | 19 | 1 | 26 | 68 | 7 | 41 | 117 | .248 | .315 | .499 |
1998 | TOR | 105 | 352 | 55 | 89 | 14 | 3 | 11 | 42 | 11 | 57 | 99 | .253 | .354 | .403 |
1999 | TOR | 106 | 349 | 63 | 84 | 19 | 3 | 14 | 45 | 14 | 64 | 91 | .241 | .358 | .433 |
2000 | TOR | 162 | 603 | 91 | 146 | 32 | 5 | 31 | 76 | 15 | 71 | 129 | .242 | .323 | .466 |
2001 | TOR | 146 | 577 | 92 | 158 | 38 | 4 | 34 | 88 | 32 | 45 | 138 | .274 | .326 | .530 |
2002 | TOR | 124 | 466 | 64 | 114 | 26 | 5 | 18 | 70 | 7 | 51 | 106 | .245 | .317 | .438 |
2003 | SF | 158 | 539 | 90 | 135 | 26 | 1 | 20 | 68 | 5 | 102 | 121 | .250 | .366 | .414 |
2004 | TB | 153 | 545 | 76 | 132 | 25 | 8 | 21 | 78 | 11 | 76 | 117 | .242 | .333 | .433 |
2005 | ※2 | 115 | 370 | 46 | 93 | 24 | 2 | 18 | 50 | 0 | 66 | 101 | .251 | .364 | .473 |
2006 | LAD | 86 | 223 | 34 | 52 | 16 | 1 | 5 | 17 | 5 | 43 | 54 | .233 | .353 | .381 |
通算 | 10年 | 1259 | 4419 | 670 | 1101 | 239 | 33 | 198 | 602 | 107 | 616 | 1073 | .249 | .339 | .453 |
[編集] 移籍したシーズンのチーム別打撃成績
[編集] 1997年
チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 四球 | 三振 | 打率 | 出塁率 | 長打率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
SEA | 49 | 183 | 28 | 49 | 12 | 1 | 12 | 34 | 1 | 13 | 45 | .268 | .315 | .541 |
TOR | 55 | 212 | 31 | 49 | 7 | 0 | 14 | 34 | 6 | 28 | 72 | .231 | .316 | .462 |
[編集] 2005年
チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 四球 | 三振 | 打率 | 出塁率 | 長打率 |
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ARI | 64 | 202 | 23 | 43 | 9 | 0 | 12 | 28 | 0 | 42 | 54 | .213 | .347 | .436 |
BOS | 4 | 12 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | .250 | .308 | .333 |
LAD | 47 | 156 | 23 | 47 | 14 | 2 | 6 | 22 | 0 | 23 | 43 | .301 | .391 | .532 |
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
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投手 | 41 ブランドン・バック / 26 ダグ・ブロケイル / 48 ティム・バーダック / 65 ジャック・キャセール / 30 ショーン・チャコーン / 68 ポール・エストラーダ / 29 ジェフ・ゲイリー / 63 サムエル・ヘルバシオ / 35 ライアン・ヒューストン / 37 ブラッド・ジェームズ / 38 ブライアン・モーラー / 64 フェルナンド・ニエベ / 44 ロイ・オズワルト / 52 フェリペ・ポーリーノ / 39 チャド・ライネック / 51 ワンディ・ロドリゲス / 43 クリス・サンプソン / 47 ホセ・バルベルデ / 56 オスカー・ビヤレアル / 53 ウェズリー・ライト |
捕手 | 11 ブラッド・オースマス / 55 ハンベルト・クインテロ / 46 J.R.タウルズ |
内野手 | 17 ランス・バークマン / 27 ジェフ・ブラム / 8 マーク・ロレッタ / 3 松井稼頭央 / 10 ミゲル・テハダ / 21 タイ・ウィギントン |
外野手 | 60 レジー・アバークロンビー / 14 マイケル・ボーン / 2 ダリン・アースタッド / 45 カルロス・リー / 9 ハンター・ペンス / 30 ヨーダニー・ラミレス |
監督・コーチ | 15 セシル・クーパー(監督) / 6 マーク・ベイリー(ブルペンコーチ) / 12 ショーン・ベリー(打撃コーチ) / 25 ホセ・クルーズ(一塁コーチ) / 16 エド・ロメロ(三塁コーチ) / 4 ジャッキー・ムーア(ベンチコーチ) / 75 デューイ・ロビンソン(投手コーチ) |
公式サイト(英語)より 40人ロースター 監督・コーチ一覧 2008年6月7日更新 |