ブダペスト
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ブダペスト/ブダペシュト(Budapest)は、ハンガリー共和国の首都で、産業、商業、交通におけるハンガリー第一の中心都市。
日本語では「ブダペスト」と表記されることが多いが、これはドイツ語などの発音に基づいた表記で、マジャル語(ハンガリー語)の発音に即した表記が「ブダペシュト」である。
人口は1980年代半ばの207万人が最高で、それから若干減少し現在は180万人である。ドナウ川の両岸に広がった都市で、右岸(西側)のブダとオーブダ、左岸(東側)のペシュト(ペスト)の3地区からなる。これらの地区はもともと別々の町であり、1873年に合併されてブダペスト市が形成された。両岸の地区を結ぶ代表的な橋がセーチェニ鎖橋である。北緯47度29分57秒、東経19度2分38秒。
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[編集] 歴史
記録の残されている限りでは、ブダペストの歴史は89年頃ローマ帝国が、もともとケルト族が定住していた現在のオーブダ地区の近くに建設した都市アクインクムに始まり、アクインクムは106年から4世紀の終わりまで、ローマ帝国のパンノニア州の州都であった。ドナウ川の対岸にあたる現在のペシュト地区は、コントラ・アクインクム(「アクインクムの反対側」という意味)と呼ばれていた。
900年に今日のハンガリーの主要民族であるマジャル人がやって来てパンノニアと都市を占領し、1世紀後にハンガリー王国を形成した。ハンガリー王国における重要都市となったペシュトは、1241年にモンゴル帝国のバトゥの征西軍の侵入による破壊からすぐに復旧されたが、1361年にハンガリーの首都となったのは1247年以来王宮所在地であったブダであった。
16世紀に入ると、オスマン帝国がハンガリーのほとんどを征服すると、首都の座を失ったブダペストの発展は一時停滞した。ペシュトはモハーチの戦いによってハンガリー王国がほぼ壊滅した1526年にオスマン帝国によって侵略された。1541年にはブダが占領され、ハンガリー中央部を支配するオスマン帝国属領としてブダ州が設置されて、ブダがオスマン帝国の総督の駐留地となった。一方のペシュト地区はこの時期ほとんど見捨てられていた。1526年以降、名目だけにはなっていたが、オーストリア大公のハプスブルク家がハンガリー王を兼ねていた。ハプスブルク家は1686年に王国領を奪回した。
1723年、王国の行政組織が置かれたペシュトは、18世紀から19世紀に急速な成長を遂げ、ブダペスト全体の発展の大部分に貢献するようになった。ブダとオーブダの合計より多かったペシュト地区の人口は、この世紀の間に20倍の600,000人に増え、ブダとオーブダの5倍になった。
3つの地区を単一の行政に統合する試みは、1849年のハンガリー革命政府によって最初に一時的に行われたが、これを鎮圧したハプスブルク帝国によって撤回され、1867年のアウスグライヒによって成立したオーストリア・ハンガリー帝国下でオーストリアから自治を獲得したハンガリー王国政府によって最終的に実現された。合併して成立したブダペスト市の総人口は、1840年から1900年に7倍となる73万人に増加した。
20世紀の人口の増加は、主に郊外で起きた。工業化による都市の発展により、ウーイペシュト(Újpest, 新ペシュト)は、1890年から1910年の間に人口が2倍以上になり、キシュペシュトは、1900年から1920年の間に5倍以上になった。第一次世界大戦の敗戦による多くの国民と国土の喪失は首都にも一時的な打撃を与えたが、オーストリアとの分離により主権国家となったハンガリーの首都になった。1930年までには、都市の人口が100万を超え、さらに郊外には40万人が住んでいた。
第二次世界大戦中の1944年のドイツ軍による占領以来、ブダペストで3番目に多いユダヤ人のうち200,000人が、ナチス・ドイツの虐殺によって死亡した。それに続くソ連軍の占領によって、さらに人口は減少し、1950年代から1960年代になるまで回復しなかった。共産主義政権(1947年 - 1989年)によって、1960年代から実用的な目的のためにいくらか都市が拡張された。1980年代からは、ハンガリー全体と同様に、移住による人口増加と人口の自然減少の釣り合いが取れている状況である。
[編集] 世界遺産
ドナウ河岸、ブダ城地区、アンドラーシ大通りを含むブダペスト |
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ブダ城 | |
(英名) | Budapest, including the Banks of the Danube, the Buda Castle Quarter and Andrássy Avenue |
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(仏名) | Budapest, avec les rives du Danube, le quartier du château de Buda et l’avenue Andrássy |
登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | 文化遺産(2),(4) |
登録年 | 1987年 |
拡張年 | 2002年 |
備考 | |
公式サイト | ユネスコ本部(英語) |
[編集] 世界遺産登録基準
1987年、「ブダペスト、ドナウ河岸とブダ城」の名の下で、世界遺産(文化遺産)に登録された。「ブダペスト、ドナウ河岸とブダ城、アンドラーシ通り」として、歴史地区が拡張されたのは、2002年のことである。 この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
- (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
[編集] 主な登録物件
- ブダ城(en:Buda Castle)--1242年、ハンガリー中興の祖であるベーラ4世が、ドナウ河畔の丘に、居城を兼ねた砦を建設したのが歴史の始まりである。14世紀にはゴシック建築の王宮に生まれ変わり、15世紀後半には、ルネサンス建築の様式に改築された。マリア・テレジアによる再建によって、部屋室203室の巨大さを誇るにいたった。
- マーチャーシュ聖堂(en:Matthias Church)--1255年、ブダ城内に建築され、歴代国王の結婚式や戴冠式の場として利用された。1479年にマーチャーシュ1世による大改築によって、高さ80メートルの尖塔が増築された。
- 国会議事堂(en:Hungarian Parliament Building)--1904年に完成したネオ・ゴシック建築。ドナウ河畔に面している。
- セーチェーニ鎖橋--ドナウ川の両岸に広がるブダ地区とペシュト地区をつなぐ。
- アンドラーシ通り(en:Andrássy Avenue)--2002年に歴史地区の拡張によって追加された通り。通りの名前の由来は、建設を推進したアンドラーシ首相(en:Gyula Andrássy)である。パリのシャンゼリゼ通りを模したプラタナスの並木道であり、セーチェーニ鎖橋の袂からペシュト地区の市民公園までの通りである。地下に欧州初の地下鉄、地上には聖イシュトバーン大聖堂、英雄広場、セーチェニ温泉、リスト音楽院等がある。
[編集] ギャラリー
[編集] 人口の推移
- 1800年: 54,200人
- 1830年: 102,700人
- 1850年: 178,000人
- 1880年: 370,800人
- 1900年: 733,400人
- 1925年: 957,800人
- 2007年: 1,696,128人
[編集] 行政
[編集] 交通機関
[編集] ブダペスト出身の人物
- イグナーツ・ゼンメルワイス:医者
- フランツ・フォン・ツァハ:天文学者
- ゲオルク・ド・ヘヴェシー:化学者
- テーオドール・ヘルツル:ジャーナリスト
- ルカーチ・ジェルジ:哲学者
- マイケル・カーティス:映画監督
- フリッツ・ライナー:指揮者
- アルバート・セント=ジェルジ:生理学者
- カール・マンハイム:社会学者
- ジョージ・セル:指揮者
- フェレンツ・フリッチャイ:指揮者
- レオ・シラード:物理学者
- バルトーク・ベーラ:作曲家
- ラースロー・ビーロー:発明家。ボールペンを発明。
- エドワード・テラー:物理学者
- ゲオルグ・ショルティ:指揮者、ピアニスト
- フェレンツ・プスカシュ:サッカー選手
- ケルテース・イムレ:作家
- イシュトヴァン・ケルテス:指揮者
- ジョージ・ソロス:投資家
- アンドルー・グローヴ:実業家
- ルビク・エルネー:ルービックキューブを作った人物
- ゾルターン・コチシュ:ピアニスト
- コダーイ・ゾルターン:作曲家
- ポール・エルデシュ:数学者
- ロバート・キャパ:写真家
- チチョリーナ:ポルノ女優・政治家。
- クリスティーナ・エゲルセギ:競泳選手
- タマス・ダルニュイ:競泳選手
[編集] 姉妹都市
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ブダペスト - ウィキトラベル
- ブダペスト市 公式サイト
- ハンガリー政府観光局
- Budapest Info Portal
- Google マップ
- Metro lines, suburban railway- and tramway network in Budapest
- Budapest public transport map
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