シャンゼリゼ通り
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シャンゼリゼ通り(フランス語: l'Avenue des Champs-Élysées、またはles Champs-Élysées)とは、フランス・パリの市内北西部にある大通りである。パリ市内で最も美しい通りとされていて、特にフランスでは「世界で最も美しい通り (la plus belle avenue du monde)」と言う表現が使われている。日本では、シャンソン歌手の越路吹雪が「オー・シャンゼリゼ」を歌ったことがきっかけで広く知られるようになった。
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[編集] 概要
パリ市内北西部の第8区を横切る約3kmの大通りである。マロニエ(マロンの木)の並木道となっていて、東はオベリスクのあるコンコルド広場から、西は凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール広場(旧エトワール広場)まで全長約3km続き、パリの観光スポットとなっている。この通りを延長すると、東のルーブル宮から、ルーブルのピラミッド、カルーゼル凱旋門、テュイルリー庭園、オベリスク、凱旋門、そして西のラ・デファンス地区の「グランダルシュ」へと東西の長い直線を形成している。この直線をパリの歴史軸などと呼ぶ。
シャンゼリゼ通りは東に行くにつれ微妙に下り坂になっており、下って行った先にはマリニー広場の緑地とマリニー劇場、グランパレ、プチパレ等の建物がある。西の方では、両側には有名ブランド店、映画館、キャバレー「リド」、カフェ、レストラン(そのうち最も有名なものは「フーケ (Fouquet’s)」)などが立ち並ぶ。なお、シャンゼリゼ劇場はシャンゼリゼ通りにではなく、モンテーニュ通りにある。
なお、“Les Champs-Élysées” とは、ギリシャ神話において有徳の人が死後に住む極楽浄土を意味するエリュシオン (英: the Elysium, the Elysian Fields) のことである。そのため、シャンゼリゼ通りは、日本風に言うと「極楽浄土通り」または「極楽通り」ということになる。また、シャンゼリゼ通りに面して、フランス大統領官邸であるエリゼ宮殿 (le palais de l’Élysée) があるが、これも日本風に言うと「極楽浄土宮殿」ということになる。
[編集] 歴史
シャンゼリゼ通りは元々は、農園と市場であったが、1616年にマリー・ド・メディシスがテュイルリー宮殿の庭園の軸を並木道で延伸したいと決めた。ヴェルサイユ宮殿の庭園なども手がけたル・ノートル (Le Nôtre) によって都市計画がなされた。1716年後半頃には、ギヨーム・ド・リズムのパリの地図によると、現在のロンポワンの地点にある丸い池によって終点となっている、並木道の植わった「テュイルリー通り」によってテュイルリー庭園の中心軸が短かく伸びた通りで農園と市場が分けられているのが分かる。すでにそのころ放射線状に延びた並木道が森と畑を通って川まで達していた。1724年には、テュイルリー庭園を貫通する軸とその通りはエトワール広場までさらにつながり延伸され、「シャンゼリゼ(エリュシオン・極楽浄土)」という園地がその通りに面して広がり、元々秩序立てて植林されていたところがすぐに茂みとなった。東のほうでは、当時好まれず無視されていた「旧ルーブル」(地図ではそう書かれていた)が建物に囲まれて存在していたが、まだその東西軸の一部にはなっていなかった。1724年の地図では、シャンゼリゼ大通りは新しく整備された「トゥルナン橋広場(Place du Pont Tournant)」(すぐに「ルイ15世広場」と改名され、現在の「コンコルド広場」となる)から西へ延びている。
18世紀末の頃にはシャンゼリゼは流行の通りになっていた。両側の植え込みは正式の長方形の緑地帯をなすほど茂っていた。フォーブール・サントノーレ沿いに建てられた家々の庭はさらに格調のある茂みを形作っていた。その最大のものがエリゼ宮である。建物の前面の半円型の部分がロンポワンの北端となっている。
王妃マリー・アントワネットは友人達とここを流し、ルイ15世広場にある堂々たるホテル・ドゥ・クリヨン (Hôtel de Crillon) で音楽の授業を受けた。ロンポワンからエトワール広場への通りは第一帝政時代に建設された。シャンゼリゼそのものは1828年に正式に市の資産となり、歩道、泉、ガス灯などが作られた。ナチス・ドイツの侵略時代には、ドイツ軍が街路樹の数を倍にし、木陰を行進したいがためにしたと言われた。最近では1993年に側道部分が拡幅されるなど、何年もの間この大通りは様々な経緯変遷を経てきた。
[編集] 産業
1860年には、この通りの商人が団結しシャンゼリゼ保護運動団体を結成し、1916年にはルイ・ヴィトンが会長である協会となり、通りのプロモーションを行ってきた。1980年には、この協会はシャンゼリゼ委員会と改名。パリ最古の現存する委員会である。この委員会は常にこの通りの高級な雰囲気を保つための公共プロジェクトや、営業時間の延長を図るために当局との交渉などに当たってきた。現在でも新しい企業が通りに参入する場合はこの委員会の承認が必要である。
賃借料が高額なため、実際にはシャンゼリゼにはほとんど誰も住んでいない。建物の高層階は事務所となるケースが多い。日当たりがいいため、特に通りの北側の賃借料が極めて高い。シャンゼリゼの壮大な建築は多くの人々に賞賛されている。大統領官邸(エリゼ宮殿)のすぐ隣にあり、すぐ横には19世紀末に建てられたグランパレとその門がある。庭園と並木のすばらしい散歩道を歩くと、子供のための操り人形の劇場に出くわすこともある。フランスの昔ながらの人気の伝統である。
[編集] イベント
- 毎年7月14日のパリ祭(バスティーユ・デイ)の日には、大統領も謁見する、ヨーロッパ最大の軍隊パレードがシャンゼリゼで開かれる。
- シャンゼリゼは1975年以降、自転車レース「ツール・ド・フランス」の最終ステージのコースおよびゴールとして使われている。
- シャンゼリゼは毎年12月31日には歩行者天国となり、新年を祝うイベントが行われる。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク