フェルディナント・ゲオルク・フォン・ザクセン=コーブルク=ザールフェルト=コハーリ
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フェルディナント・ゲオルク・アウグスト・フォン・ザクセン=コーブルク=ザールフェルト=コハーリ(Ferdinand Georg August von Sachsen-Coburg-Saalfeld-Koháry, 1785年3月28日 - 1851年8月27日)は、第4代コハーリ公。
ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公フランツと妃アウグスタ・フォン・ロイス=エーベルスドルフの三男としてコーブルクで生まれた。兄はザクセン=コーブルク=ゴータ公エルンスト1世、弟はベルギー王レオポルド1世。
1815年11月30日、ウィーンでカトリックのハンガリー貴族(マグナート)で当時の資産家の女子相続人マリア・アントーニア・コハーリと結婚。2人の間には4子が生まれた。
- フェルディナント・アウグスト・フランツ・アントン (1816年 - 1885年) ポルトガル女王マリア2世の王配
- アウグスト・ルートヴィヒ・ヴィクトル(1818年 - 1881年) フランス王女クレマンティーヌと結婚。ブルガリア王フェルディナンド1世の父。
- ヴィクトリア・フランツィスカ・アントーニア・ユリアーネ・ルイーゼ(1822年 - 1857年) フランス王族のヌムール公ルイ・ドルレアンの妻。
- レオポルト・フランツ・ユリウス(1824年 - 1884年) 平民のコンスタンツェ・ゲイケルと結婚。
1826年、妻マリアの実父コハーリ公フェレンツが亡くなり、フェルディナントがコハーリ公位を継いだ。この時から家名がザクセン=コーブルク=コハーリ家となった。元来プロテスタントのザクセン=コーブルク=ゴータ家の分枝であるこの一族は、カトリック教徒であることから、フランスやポルトガルなどカトリックの王侯との通婚が盛んとなった。