レオポルド1世 (ベルギー王)
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レオポルド1世(Leopold I、1790年12月16日 - 1865年12月10日)は、ベルギーの初代国王。レオポルド2世の父。父はザクセン=コーブルク=ザールフェルト公フランツ・フリードリヒ。母はアウグスタ・フォン・ロイス・エーベルスドルフ。
レオポルドは1790年の12月16日、コーブルクのエーレンブルク城でフランツ・フリードリヒの三男として生まれた。
1795年、レオポルドは5歳の時にロシア帝国の陸軍大佐イズマイロフスキーと出会った。それから7年後、レオポルドはロシア軍の将官になった。この時、祖国ザクセン=コーブルク公国はナポレオン軍の占領下にあった。1806年にレオポルドはパリへ行った。ナポレオンと会った時、彼は自分の副官になるつもりはないかと持ちかけたが、レオポルドはこの申し出を断った。その後、レオポルドは兄達に続きナポレオン戦争に加わることになった。
1815年、レオポルドは陸軍元帥になった。ロシア皇帝アレクサンドル1世の親友だったレオポルドはこの年、皇帝と共にロンドンを訪れた。この時レオポルドは摂政王太子ジョージ(後のジョージ4世)の一人娘シャーロット王女に見初められ、5月2日に2人は結婚した。しかしシャーロットは1817年12月5日に息子を死産した後、間もなく死去してしまった。レオポルドはその後もイギリスに留まってケンダル公として帰化し、国から毎年5万ポンドの年金を給付されることになった。彼はしばらくは数々の趣味に没頭していた。
1830年にレオポルドは、オスマン帝国から独立したギリシャから、国王就任要請の打診をされていたが、この話は断った。しかし1831年6月26日には、前年に独立したベルギーから再び国王就任要請があり、今度は承諾することにした。7月21日にレオポルドはブリュッセルの王宮で初代ベルギー国王に即位した。
1832年8月9日、レオポルドはフランス国王ルイ・フィリップの娘ルイーズ=マリーと結婚した。1833年6月24日には長男のルイ=フィリップ・レオポルド・ヴィクトル・エルネスト(1834年5月16日に病死)が、1835年4月9日にはレオポルド・ルイ=フィリップ・マリー・ヴィクトル(後のレオポルド2世)が、1837年5月24日にはフィリップ・ウジェーヌ・フェルディナンド・マリー・クレマン・ボードゥアン・レオポルド・ジョルジュ(フランドル伯)が誕生した。1840年6月7日にはマリー=シャルロット・アメリー・オギュスティーヌ・ヴィクトアール・クレマンティーヌ・レオポルディーヌが誕生した。レオポルドはこの末っ子シャルロットをとても可愛がっていたという。
しかし彼はこの他に愛人アルカディー・クラレットとの間にも、ジョルジュ=フレデリック・フォン・エピングホーヴェン男爵とアルテュール・フォン・エピングホーヴェン男爵を儲けている。
レオポルドは姪のイギリス王女ヴィクトリアと甥のアルバート公子の良き相談相手であり、2人からとても信頼され、慕われていた叔父であった。後に彼は、この2人を結びつける役割を果たした。この2人を結婚させようと考えたのは、国王になったとはいえベルギーはあまりにも小さく、他の国々へもさらなる勢力拡大を図るため、ザクセン=コーブルク=ゴータ家とイギリス王室を結びつけようとしたためといわれている。
レオポルド1世は、1865年12月10日にブリュッセルで死去した。
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