フェリックス・マガト
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フェリックス・マガト | ||
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名前 | ||
本名 | ヴォルフガング・フェリックス・マガト | |
愛称 | クエーリックス | |
ラテン文字 | Felix MAGATH: | |
基本情報 | ||
国籍 | ドイツ プエルトリコ |
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生年月日 | 1953年7月26日(54歳) | |
出身地 | アシャッフェンブルク | |
身長 | 174cm | |
体重 | 74kg | |
選手情報 | ||
ポジション | MF | |
代表歴 | ||
1977–1986 | 西ドイツ | 43 (3)
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ヴォルフガング=フェリックス・マガト(Wolfgang-Felix Magath、1953年7月26日 - )は、ドイツ出身の元西ドイツ代表サッカー選手、サッカー指導者。現、ブンデスリーガ・VfLヴォルフスブルク監督。
目次 |
[編集] 略歴
プエルトリコ出身のアメリカ軍人の父とドイツ人の母との間に生まれる。選手時代はMF(ゲームメーカー)として選手キャリアの多くをハンブルガーSVで過ごし、ハンブルクでは通算306試合46得点を記録を残す等、1980年代のドイツを代表するMFであった。また1983年に行われたUEFAチャンピオンズカップ決勝のユヴェントス戦では相手GKの頭上を越える見事なロングシュートで決勝ゴールを決めタイトル獲得に貢献した。
西ドイツ代表としても1977年に初選出され、1982年のスペインW杯と1986年のメキシコW杯に出場し、2大会連続準優勝に貢献した。
引退後はブンデスリーガの様々なチームの監督を歴任し、VfBシュトゥットガルトでの手腕が認められ、2004-2005シーズンからは名門バイエルン・ミュンヘンの監督に就任。ブンデスリーガ連覇、ドイツカップ連覇など輝かしい戦績を収めた。だが2006-2007シーズンは不調に陥り、2007年1月31日に解任された。2007-2008シーズンからはVfLヴォルフスブルクの監督に就任が決定した。同クラブではスポーツディレクターも兼ねている。
[編集] 監督としての評価
スポーツ科学や細かい戦術、選手との対話を重要視せず、数多いドイツ人指導者の中でも最もハードなフィジカルトレーニングをする事で知られている。マガトの有名な発言は"Qualitaet kommt von Qual"(「高いクオリティーは苦しみから得られる」)。ドイツサッカーコーチ連盟の副会長を務めているものの、指導者の間では「一昔前の監督」と評価されている。
[編集] 所属クラブ
- VfRニルクハイム (ドイツ) 1960-1964
- TV 60 アシャッフェンブルク(ドイツ) 1964-1972
- ヴィクトリア・アシャッフェンブルク(ドイツ) 1972-1974
- ザールブリュッケン(ドイツ) 1974-1976
- ハンブルガーSV(ドイツ) 1976-1986
[編集] 指導歴
- ブレーマーハーフェン(ドイツ): 監督 1992-1993
- ハンブルガーSV(ドイツ): ヘッドコーチ 1993-1995
- ハンブルガーSV(ドイツ): 監督 1995-1997
- ニュルンベルク(ドイツ): 監督 1997-1998
- ヴェルダー・ブレーメン(ドイツ): 監督 1998-1999
- アイントラハト・フランクフルト(ドイツ): 監督 1999-2001
- VfBシュトゥットガルト(ドイツ): 監督 2001-2004
- バイエルン・ミュンヘン(ドイツ): 監督 2004-2007.1
- VfLヴォルフスブルク(ドイツ):監督兼スポーツディレクター 2007.5-
[編集] 獲得タイトル
- ドイツ・ブンデスリーガ優勝 2回(2005,2006)
- DFBポカール優勝 2回(2005,2006)
[編集] 余談
- ハンブルガーSVの監督をしていた時、フルマラソンの大会に参加したことがある。
VfLヴォルフスブルク - 現所属メンバー |
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1 イエンツシュ | 4 シェファー | 5 R・コスタ | 6 シムネク | 7 ジョズエ | 8 バイアー | 9 ジェコ | 10 クジノヴェク | 11 ラース | 12 レンツ | 13 長谷部 | 14 サンタナ | 16 ベナーリオ | 17 マドルンク | 18 マキアディ | 20 リーター | 22 アレックス | 23 グラフィッチ | 24 デヤガ | 25 ゲントナー | 26 エフリュスキン | 28 ヒル | 32 マルセリーニョ | 33 ライヒェ | 34 ドゥーメラント | 36 ニアン | 37 カリモフ | - ザッカルド | - バルツァッリ | - ラドゥ | - ボアキエ | - ロドリゴ・アウヴィム | - ミシモヴィッチ 監督: マガト |
西ドイツ代表 - 1982 FIFAワールドカップ | |
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1 シューマッハー | 2 ブリーゲル | 3 ブライトナー | 4 K・フェルスター | 5 B・フェルスター | 6 ドレムナー | 7 リトバルスキー | 8 フィッシャー | 9 ルベッシュ | 10 ミュラー | 11 ルンメニゲ | 12 ハンネス | 13 ラインダース | 14 マガト | 15 シュティーリケ | 16 アロフス | 17 エンゲルス | 18 マテウス | 19 ヒーロニムス | 20 カルツ | 21 フランケ | 22 インメル | 監督 デアバル |
西ドイツ代表 - 1986 FIFAワールドカップ | |
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1 シューマッハー | 2 ブリーゲル | 3 ブレーメ | 4 K・フェルスター | 5 ヘルゲット | 6 エデル | 7 リトバルスキー | 8 マテウス | 9 フェラー | 10 マガト | 11 ルンメニゲ | 12 シュタイン | 13 アルゲーヴァー | 14 ベルトルト | 15 アウゲンターラー | 16 トーン | 17 ヤコブス | 18 ラーン | 19 アロフス | 20 ヘーネス | 21 ロルフ | 22 インメル | 監督 ベッケンバウアー |