クラウス・アウゲンターラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クラウス・アウゲンターラー | ||
---|---|---|
名前 | ||
愛称 | アウゲ | |
カタカナ | クラウス・アウゲンターラー | |
ラテン文字 | Klaus AUGENTHALER | |
基本情報 | ||
国籍 | ドイツ | |
生年月日 | 1957年9月26日 | |
出身地 | フュルステンツェル | |
身長 | 182cm | |
体重 | 78kg | |
選手情報 | ||
ポジション | CB
|
|
代表歴 | ||
出場 | 27 | |
得点 | 0 | |
クラウス・アウゲンターラー(Klaus Augenthaler、1957年9月26日 - )は、ドイツ(旧西ドイツ)出身のサッカー選手、サッカー指導者。愛称はアウゲ(Auge=ドイツ語で目の意味)。
現役時代のポジションはディフェンダー。デビューから引退までバイエルン・ミュンヘンでクラブキャリアを全うした。 西ドイツ代表として2度のワールドカップ(1986年、1990年)に出場。1990年大会ではリベロとしてギド・ブッフバルト、ユルゲン・コーラーからなる屈強なストッパー陣を統率して堅守を築き、西ドイツの優勝に貢献した。
時に同時の代表で唯一クラシックなディフェンダーと評されるが、ディフェンスに徹するその姿勢が西ドイツに栄光をもたらしたのは間違いない。 引退後は指導者として、ドイツ、オーストリアのクラブで監督を歴任しているが、スポーツ科学を重要視せず、GKトレーニング自体を軽視するなどの独自のフィロソフィー、そして元々無口な性格の影響か、好結果を残す事が出来ずにいる。
[編集] 選手経歴
- バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)1976-1991
[編集] 指導者経歴
- バイエルン・ミュンヘン(ドイツ):アシスタントコーチ 1992-1997
- グラーツァーAK(オーストリア):監督 1997-2000
- 1.FCニュルンベルク(ドイツ):監督 2000-2003
- バイエル・レバークーゼン(ドイツ):監督 2003-2005
- VfLヴォルフスブルク(ドイツ):監督 2006-2007
西ドイツ代表 - 1986 FIFAワールドカップ | |
---|---|
1 シューマッハー | 2 ブリーゲル | 3 ブレーメ | 4 K・フェルスター | 5 ヘルゲット | 6 エデル | 7 リトバルスキー | 8 マテウス | 9 フェラー | 10 マガト | 11 ルンメニゲ | 12 シュタイン | 13 アルゲーヴァー | 14 ベルトルト | 15 アウゲンターラー | 16 トーン | 17 ヤコブス | 18 ラーン | 19 アロフス | 20 ヘーネス | 21 ロルフ | 22 インメル | 監督 ベッケンバウアー |
西ドイツ代表 - 1990 FIFAワールドカップ 優勝メンバー (3度目) | |
---|---|
1 イルクナー | 2 ロイター | 3 ブレーメ | 4 コーラー | 5 アウゲンターラー | 6 ブッフバルト | 7 リトバルスキー | 8 ヘスラー | 9 フェラー | 10 マテウス | 11 ミル | 12 アウマン | 13 リードレ | 14 ベルトルト | 15 バイン | 16 シュタイナー | 17 メラー | 18 クリンスマン | 19 プフリュグラー | 20 トーン | 21 ヘルマン | 22 ケプケ | 監督 ベッケンバウアー |