ヒスパーニア・タラコネンシス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヒスパーニア・タラコネンシス(Hispania Taraconensis)とはローマ帝国の属州のひとつ。皇帝属州である。
現在のスペインの大半(セビリア地方、ガリシア地方など)とポルトガル北部を含んだ地域に該当する。南方には現在のポルトガル南方に相当するルシタニア、現在ではアンダルシア地方と呼ばれるヒスパーニア・ビエティカと、北方には現在のフランス西部であるガリア・アクィターニアとガリア・ナルボネンシスが接している。
[編集] 歴史
ローマがこの地に影響を持つ前は現地のイベリア人の他に紀元前8世紀-紀元前6世紀までの間にフェニキア人が地中海沿いの海岸地域に植民市を建設した。
ローマは紀元前2世紀頃この地に影響力を持つようになる。当初はエブロ川以西には進出しないとカルタゴと協定を結んでいたが、第二次ポエニ戦争後になると主にイベリア半島の南部地方を支配下に置き、その後の共和政後期に南西部を「ヒスパニア・ウルステリオル」、南東部を「ヒスパニア・キテリオル」という名でローマの属州として付け加えられた。アウグストゥスの治世にイベリア半島をほぼ制圧、その後ローマ領再構築により、紀元前27年より現在の「ヒスパニア・タラコネンシス」と名付けられた。それ以来首都はタラッコ(現在のタラゴナ)となっている。
現在のイベリア半島北部は当初ローマ領内ではなかったが、紀元前29年から紀元前19年まで現地のカンタブリ人が抵抗、制圧後にローマに編入、ヒスパニア・タラコネンシスの管轄に入った。
四皇帝乱立の年にはこの地方を治めていた総督で元老院議員であったガルバが皇帝に擁立、ローマ皇帝にほんの短期間就いた。
ディオクレティアヌスの治世にはガッラエキア、カルタギニエンシス、タラコネンシスと分割される。そして407年よりカンタブリ人、バスク人が反乱、その後西ゴート人がピレネー山脈を越えて西方より侵入、西ゴート王国領となった。
|
|
---|---|
本土 | イタリア |
元老院属州 | アカエア | アシア | アフリカ | ガリア・ナルボネンシス | キュプルス | クレタ・キュレナイカ | シキリア | ヒスパニア・バエティカ | ビテュニア | ポントス | ヌミディア | マケドニア |
皇帝属州 | アッシュリア | アラビア | アルメニア | アルペス・コッティアエ | アルペス・ポエニナエ | アルペス・マリティマエ | カッパドキア | ガラティア | ガリア・アクィタニア | ガリア・ベルギカ | ガリア・ルグドゥネンシス | キリキア | 高地ゲルマニア | 低地ゲルマニア | コルシカ・サルディニア | シリア | ダキア | ダルマティア | トラキア | ノリクム | パンノニア | パンピュリア | ヒスパニア・タラコネンシス | ブリタンニア | マウレタニア | ティンギタナ | メソポタミア | モエシア | ユダヤ | ラエティア | リュキア | ルシタニア |
皇帝私領 | アエギュプトゥス(エジプト) |
上記は、ローマ帝国の領土が最大となった紀元117年の属州。 |