バス代行
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バス代行(バスだいこう)とは、鉄道がなんらかの事情でその輸送機能を途絶された場合に、バスにより輸送を代行することをいう。
その輸送の任に当たるバスを、「代行バス」と呼ぶことがある。
日本では、一般的に沿線のバス事業者が担当することになっている。JRバス各社は主要業務の一つにこの列車代行輸送がある。車庫が鉄道路線とかなり離れていても代行する場合があるのは、このためである。JRバス、鉄道事業者系列のバス事業者、鉄道事業者と代行輸送契約しているバス事業者が所有する車両の方向幕には「列車代行」の表示が用意されている。
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[編集] バス代行を行うケース
鉄道輸送の途絶によるバス代行の発生には、一般的に次の事情が考えられる。
[編集] 災害や事故等による鉄道の不通
この場合、代行バス輸送はあくまで鉄道輸送の臨時代替とみなされ、運賃・料金は鉄道と同様に計算される。特急列車の代行バスに乗車するには特急券が必要である。急行列車の場合も同様である。
1998年(平成10年)の水害による四国旅客鉄道(JR四国)土讃線大杉駅~高知駅間長期不通時の例では、不通区間の所要時間が代行バスの方が速く、同一列車スジの接続が可能だったため、大杉駅止まりの特急列車と高知駅で接続する宿毛駅方面の特急列車は、代行バスを挟んで同一の列車とみなされ、通しの特急券が発行された。代行バス経路が鉄道と異なるため土佐山田駅、後免駅方面は高知駅で接続する別の代行バス(土佐電気鉄道線と共同の代行バス)に乗換えとなった。
2007年4月1日時点では越美北線越前東郷駅~美山駅(列車不通区間は一乗谷駅~美山駅)、三江線江津駅~浜原駅(ただし、江津本町駅、千金駅はバスの乗り入れができないため通過)が代行バス輸送(三江線はジャンボタクシーの場合もあり)となっていた。越美北線は同年6月30日、三江線は同年6月16日に全線で列車の運行を再開し、代行バス輸送は終了した。
2000年(平成12年)の有珠山噴火の際、不通となった室蘭本線を迂回する形で札幌駅方面と函館駅方面を結ぶ特急列車や貨物列車が函館本線で運転された。函館本線のうち長万部駅~小樽駅間では線路容量の不足を補うため迂回の特急や貨物列車を優先し、普通列車はバス代行輸送で対応したことがあった。
大規模なバス代行輸送としては、1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災による不通鉄道のバス代行輸送がある。西日本旅客鉄道(JR西日本)は主に西日本JRバス、九州旅客鉄道(JR九州)自動車事業部(現・JR九州バス)、神姫バスの3社を基本に震災による貸切バス需要の枯渇による観光バス会社の輸送(ただし座席は豪華でも乗降に時間がかかり乗客には不評であった)、阪急電鉄は阪急バス、阪急観光バスを基本にした代行輸送、阪神電気鉄道は阪神電鉄バス、名古屋阪神観光バス(現・名古屋バス)を基本にした代行輸送体制が取られた。震災直後は三ノ宮⇔西ノ宮間が片道3時間以上かかる(鉄道で15分ほどの運行時間)状況であったため、国道43号の一車線をバス専用車線とし三ノ宮⇔芦屋間の「直行バス」の路線となった。各駅停車便は「シャトルバス」と表示され山手幹線と国道2号を路線とし既存の鉄道駅近くの仮設バス停留所で乗降扱いをした。車内では運賃収受はせずに停留所に配置された鉄道事業者の社員が運賃収受を行った。運行開始当初は、三ノ宮の降車場(国道2号線の新生田川交差点付近)はJR・阪急・阪神の社員がバス到着時にいずれの会社の代行バスでも運賃収受、定期券拝見、回数券回収を行うこともあった。代行輸送区間の変更やその後のシステム簡略化に伴い、バス車内に小型のゴミ箱を流用した簡易運賃箱を設置したケースもある。また山陽新幹線も被災したため、姫路⇔新大阪間の代行バスを播但連絡道路・中国自動車道経由で西日本JRバス、神姫バスの2社を基本に運行されたが中国道西宮北IC⇔宝塚ICが大渋滞となり運行翌日から姫路⇔三田間に区間変更され、福知山線(JR宝塚線)三田から新大阪へ至る代行ルートとなった。この代行期間は西日本JRバスの車両が神姫バスの姫路と三田の各営業所に配置されていた。
2005年(平成17年)のJR福知山線脱線事故においてのバス代行輸送で目立つのは阪急バスの尼崎⇔川西能勢口間の路線である。JR宝塚線と並行する阪急宝塚線は臨時列車増発がされなかったのとは対照的に、通常は1時間に片道1~2本が運行されている路線を他営業所の応援により増発することで対応した。さらにJR西日本は阪急電鉄に対しJR宝塚線と同様の時間帯の終電運行を要望したが断られ、また阪急バス、阪神電鉄バスにも深夜帯の代行輸送を断られた。その結果、深夜帯における代行輸送は大阪⇔宝塚間の直通バスが西日本JRバス、JR東西線対応で尼崎⇔宝塚間の各駅停車バスをエリア外の神姫バス、山陽電気鉄道自動車営業本部(山陽バス)、神戸山陽バスが担当した。
2001年に列車衝突事故で京福電気鉄道の福井県の路線(現・えちぜん鉄道)をバス代行にした時は、観光バスなどを代行バスに使用したことがある。
沿線で不発弾が発見されて自衛隊が撤去作業を行うため地域住民に避難命令が出された場合は、その区間が運休されバス代行になることがある。
[編集] 大規模工事による鉄道営業の中止
主に地上設備の改良工事で当該区間に列車を運行させることができない場合に計画的に行われる。並行する他の鉄道・バス会社への振替輸送を併せて行うことが多い。
- ミニ新幹線化
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)田沢湖線を東北新幹線と直通させるために標準軌に改軌する際、同線は長期にわたり運行を休止した。その際補完としてバスによる輸送を行った。この輸送は、大曲~盛岡直通便をJRバス東北が、その他区間便を秋田県側は羽後交通、岩手県側は国際興業系列の岩手観光バス(当時)、および岩手県北バスが請け負った。お盆・年末年始にはJRバス東北と秋田中央交通が秋田~盛岡の直行便を運行した。
- 高架化・地下化切り替え
- 都市部では既存の路線を高架線または地下線に改良する際に、高架化・地下化切り替え工事当日に切り替え地点の前後をバスで連絡することがある。休日の深夜から早朝のように多くの利用客に影響の少ない時間帯が選ばれるが、工事の内容や規模によっては日中でも代行が行われる。一方、名古屋鉄道常滑線のように、鉄道を1年以上にわたり全面運休して、その間に高架化工事をするという事例も存在する。
- リフレッシュ工事
- ローカル線では日中の閑散時に列車の運行を休止して工事を行い、バス代行が行われることがある。
- 山口県内の山陽本線では昼間の保守工事で2時間ほど運行されない場合にバス代行になる。
[編集] 路線の経営状況の悪化による、営業の効率化
日本国有鉄道(国鉄)士幌線において、1978年(昭和53年)から、末端部の糠平駅~十勝三股駅間において、鉄道営業を休止しバス輸送を行った。このケースでは、同区間の鉄道営業は「休止」扱いであり、廃止はされていなかった。
私鉄においても、閑散路線がバス代行になるケースが多かった。私鉄の場合ラッシュ時のみ列車を運行し、その他の時間帯はバス代行とするケースが見られた。該当例として、末期の有田鉄道(2002年廃止)や北陸鉄道金名線(1984年に休止後、86年廃止)などが挙げられる。有田鉄道の最晩年は、休日は列車が全便運休しバス代行便のみとなった(つまり、曜日によるバス代行と言える)。また、京福電気鉄道永平寺線の晩年の東古市駅-永平寺駅間(2001年休止後、2002年廃止)では、1時間ヘッドの電車の間に、1時間ヘッドのバスが走るというダイヤであった。東古市で接続する越前本線(現えちぜん鉄道勝山永平寺線)が30分ヘッドであったので、永平寺線への接続が電車とバス両方あった。これらのケースでは、営業路線での代行バスという扱いであり、定期券・回数券などではバス便・列車便どちらにも乗車が可能であった。2008年現在、閑散時間帯のみのバス代行路線はない。
外国では、フランス国鉄のローカル線にバス代行便が多い。士幌線のような完全に休止してバス代行のみにした路線もあれば、閑散時間帯のみバス便とする路線(走るのは優等列車のみで、ローカル便はバス便とするetc.)もある。列車代行なので、当然ユーレールパスなどのパスで乗車することができる。
[編集] 鉄道廃止に伴う代替交通機関の確保
鉄道が廃止されたのちに、鉄道営業区間に開通されたバス路線が挙げられる。代替バス、転換バスとも称する。鉄道の代替という位置づけではあるが、上記とは異なり、鉄道営業は廃止されているため、運賃・料金は鉄道のものとは異なる独自の設定がされる。なお、既存の路線バスが並行して運行している場合にはその路線が代替となることもある。しかし、鉄道に比べ運賃が高くなる傾向が強く、また代替路線が実際の沿線住民の需要と異なるなどのために、利用者の逸走が著しい場合もあり、代替路線バスですら廃止になってしまう場合も存在する(名鉄谷汲線の廃止に伴う、名阪近鉄バスの代替路線など)。このため、路線バスの定期運賃と鉄道時代の定期運賃の差額を自治体が補助するなどの激変緩和措置が取られることもある。
1960年代から1970年代にかけては、路面電車の廃止に伴う代替バスが各地で見受けられた。