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デーブ・キングマン - Wikipedia

デーブ・キングマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

デーブ・キングマンDavid Arthur Kingman1948年12月21日 - )はアメリカ合衆国メジャーリーグベースボール、右投右打の外野手オレゴン州ペンドルトン出身。

198cmと非常に長身だったキングマンは1970年代と1980年代を通じて最も恐れられた打者の一人であり、その長身と長い腕によるスイングは遠心力で打球を遠くまで運ぶ才能に優れていた。彼は多くの本塁打を現役中に放ち、推定168メートル弾や、1試合3本塁打を5回記録するなどと典型的なパワーヒッターであった。デビュー戦でも本塁打を打ち、翌日も2本打つ等と非常に優秀ではあったものの、三振が多く常に打率は低かった。

目次

[編集] 野球生活

[編集] 大学野球

南カリフォルニア大学入学当初は投手だったが、後に外野手にコンバートされ、傑出した選手として活躍した。1970年には全米代表に選ばれ、同年大学ワールドシリーズにチームを導き、サンフランシスコ・ジャイアンツに1970年第2期ドラフトで1位指名され入団した。

[編集] メジャーリーグ

ジャイアンツでも当初は投手と三塁手を兼業していたが、1974年に59守備機会で12もの失策を記録すると、彼との契約をニューヨーク・メッツに売ってしまった。その後キングマンは現役生活を通じて14試合でしか三塁でプレーせず、投手として登板する事も無かった。

彼は現役を通じて7つのチームでプレーし、人間関係の面では気難しい面があったようだ。メッツ時代のチームメイトは彼を公共の場で“切り株の様な性格”と称し、キングマン本人もスポットライトを拒み孤独を好む性格の持ち主であった。彼の予期せぬ言動や反社会的行動、そして試合中の独断的プレーは頻繁にトレード対象となる理由の一つであった。1977年には初めて同一シーズンで4チームでプレーする選手となり、しかもオフには放出された。

キングマンにとって最善のシーズンは1979年であり、初のシーズンフル出場をシカゴ・カブスで果たした結果打率.288、ナショナルリーグ本塁打王となる48本塁打を放ち、その他にも115打点と97得点を記録。彼の長打率.613は次点となるマイク・シュミットよりも5分も高い数字だった。しかし、この年以降はいつもの低打率に戻り、カブスでの人気も下降。1981年にはメッツに復帰し、翌年には再びナショナルリーグの本塁打王になったが、この年のキングマンの打率は.204だった。これは、本塁打王を獲得した選手としてだけでなく、一塁手として最低の打率だった。(規定打席以上)

一塁手や外野手としてプレーし、常に守備面では不安が残った結果最後の3年間は指名打者として活躍し、いずれの年も最低30本塁打90打点を記録していた。また、彼は二つの“幻の本塁打”を放っている:1984年ミネソタメトロドームで打った飛球は天井にはまってしまい、二塁打扱いとなった。さらに1985年シアトルキングドームでの試合では左翼に打った打球が天井が釣り下がっていたスピーカーを直撃し、落下してきたボールは捕球されてしまった。

現役最後となった1986年にも35本塁打を放った。現役を続ける予定だったが若返りを図ったオークランド・アスレチックスからフリーエージェント登録をし、移籍を試みるも、当時は各球団のオーナーが共謀して高額フリーエージェントとの契約を避けた(後に違法とされた)ため、どの球団とも契約できなかったボブ・ホーナースワローズと翌シーズン途中に契約したり、1986年のナショナル・リーグ首位打者ティム・レインズも旧所属球団エクスポズとの交渉解禁を待って復帰したりという「冬の時代」で、ついにキングマンとの契約に名乗りを上げる球団はなく、38歳の年齢もあり、不本意な形での引退となった。16年間の現役生活を通じ、キングマンの1816三振は歴代4位である。また、オールスターにも3回選ばれている。

[編集] 名言・迷言

  • 「皆俺の三振の多さの事を話してる。もし俺が毎日プレーしたら、もしかしたら400回位三振するかもしれない。けど、本塁打をどれ位打つかは俺にもわからない。毎日プレーした事はないからな。」―デーブ・キングマン、1975年。
  • 「俺のキングマンの活躍に対する選択肢?一体どんな(放送禁止)な選択肢があると思うんだ?そりゃ俺は(放送禁止)(放送禁止)だと思う。今のコメント使ってくれ、俺は(放送禁止)なんていう言葉は言わない。彼の活躍に対する選択肢!?そりゃ一体(放送禁止)な意味なんだい、“彼の活躍に対する選択肢”なんてのは?一体どうやったら俺にそんな質問が出来るんだ、“彼の活躍に対する選択肢”なんていうのは。(放送禁止)、彼は3本もホームランを打ったんだぞ!(放送禁止)。俺は(放送禁止)な気持ちだよ、あんな(放送禁止)な試合を負けて。そして君は“彼の活躍に対する選択肢”なんていう質問を俺にしてる!(放送禁止)。それは難しい質問だね、“彼の活躍に対する選択肢”なんていうのは。」―トミー・ラソーダ、新聞記者に対する返答として。この試合(1978年5月14日)でキングマンは3本の本塁打を打ち、チームも延長15回にドジャース相手に10対7で逆転勝ちを収めた。
  • 「彼の人間性、守備的欠陥、そして高い三振率は“コング”が7つものチームでプレーした理由だ...誰も彼より高く遠く飛ばす人はいない。」―ザンダー・ハランダー、1985年。
  • 「彼を三塁手として見た時、私は好きではなかった。でも彼はベンチの中ではいい選手だし、クレオン・ジョーンズが活躍出来ない時のために我々にとって良い保険となる。」―メッツ監督時代のヨギ・ベラ、1975年。
  • 「俺はヨギに、もしデーブを150試合に出したら30から40位ホームランを打つと言ったんだ。そしてもし彼がレギュラーとして数年プレーする機会を与えたら、次に60本(本塁打)を打つのは彼かもしれない。」―ボビー・ボンズ、1975年。
  • 「あれはミルウォーキーまでいった!」―シカゴラジオアナウンサールー・ブードロー、キングマンのリグレー・フィールドでの大ホームランを称して。

[編集] 獲得タイトル・記録

[編集] 年度別成績

[編集] 野手成績
































O
P
S
1971 SF 41 115 17 32 10 2 6 24 5 0 9 35 .278 .328 .557 64 0 3 0 1 2 0.885
1972 SF 135 472 65 106 17 4 29 83 16 6 51 140 .225 .303 .462 218 0 4 2 4 9 0.765
1973 SF 112 305 54 62 10 1 24 55 8 5 41 122 .203 .300 .479 146 1 2 3 2 8 0.779
1974 SF 121 350 41 78 18 2 18 55 8 8 37 125 .223 .302 .440 154 2 1 2 3 8 0.742
1975 NYM 134 502 65 116 22 1 36 88 7 5 34 153 .231 .284 .494 248 1 2 5 4 13 0.778
1976 NYM 123 474 70 113 14 1 37 86 7 4 28 135 .238 .286 .506 240 0 3 4 5 11 0.792
1977 ※1 132 439 47 97 20 0 26 78 5 6 28 143 .221 .276 .444 195 3 4 4 7 6 0.720
1978 CHC 119 395 65 105 17 4 28 79 3 4 39 111 .266 .336 .542 214 2 6 8 6 3 0.878
1979 CHC 145 532 97 153 19 5 48 115 4 2 45 131 .288 .343 .613 326 0 8 7 4 7 0.956
1980 CHC 81 255 31 71 8 0 18 57 2 2 21 44 .278 .329 .522 133 0 4 3 0 10 0.851
1981 NYM 100 353 40 78 11 3 22 59 6 0 55 105 .221 .326 .456 161 1 2 7 1 9 0.782
1982 NYM 149 535 80 109 9 1 37 99 4 0 59 156 .204 .285 .432 231 3 6 9 4 11 0.717
1983 NYM 100 248 25 49 7 0 13 29 2 1 22 57 .198 .265 .383 95 1 1 1 1 2 0.648
1984 OAK 147 549 68 147 23 1 35 118 2 1 44 119 .268 .321 .505 277 0 14 8 6 7 0.826
1985 OAK 158 592 66 141 16 0 30 91 3 2 62 114 .238 .309 .417 247 2 8 6 2 17 0.726
1986 OAK 144 561 70 118 19 0 35 94 3 3 33 126 .210 .255 .431 242 0 7 3 3 16 0.686
通算 16年 1941 6677 901 1575 240 25 442 1210 85 49 608 1816 .236 .302 .478 3191 16 75 72 53 139 0.780
  • 太字はリーグ1位。
  • ※1=ニューヨーク・メッツ→サンディエゴ・パドレス→カリフォルニア・エンゼルス→ニューヨーク・ヤンキース

[編集] 投手成績





































W
H
I
P
1973 SF 0 0 2 0 0 0 2 0 4.0 3 4 4 0 6 4 9.00 0 2 21 0 0 9.00 2.25
通算 1年 0 0 2 0 0 0 2 0 4.0 3 4 4 0 6 4 9.00 0 2 21 0 0 9.00 2.25

[編集] 外部リンク

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