オーランド・ヘルナンデス
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オーランド・ヘルナンデス Orlando Hernandez ニューヨーク・メッツ No.26 |
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基本情報 | |
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国籍 | コスタリカ |
出身地 | キューバヴィーリャ・クララ州 |
生年月日 | 1969年10月11日(38歳)(注) |
身長 体重 |
6' 2" =約188cm 220 lb =約99.8kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1998年 ドラフト外 |
初出場 | 1998年6月3日 |
年俸 | 500万ドル(2007年) |
経歴 | |
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■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
オリンピック | ||
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野球 | ||
金 | 1992 | 野球 |
オーランド・ヘルナンデス(Orlando Pedroso Hernandez , 1969年10月11日(注) - )は、MLBニューヨーク・メッツに所属する投手。キューバ共和国ヴィーリャ・クララ州出身。右投右打ち。ニックネームは“El Duque”(エル・デュケ、意味:男爵)。このニックネームはキューバの名選手であった父のものでもあった[1]。アリゾナ・ダイヤモンドバックスに所属するリバン・ヘルナンデスは弟。独特のハイキック・モーションで投球する(画像)。
目次 |
[編集] 経歴
キューバにいた時は国内リーグ、セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルのインダストリアレスでプレーし、1992年の優勝に貢献、10年間の在籍で防御率3.05、126勝47敗の成績を記録した。またキューバ代表ではインターコンチネンタルカップ、ワールドカップ、バルセロナオリンピックで金メダルを獲得するなどの実績をあげた[2]。
1995年9月に弟リバンがアメリカに亡命したため、国内リーグの出場停止となり、翌年7月にはアメリカのスポーツ・エージェントから金銭を受け取り、亡命を企てていた疑いで身柄を拘束され、尋問を受けることとなる。更にその1カ月後には国内リーグから永久追放された[1][2]。1997年12月、ヘルナンデスは別れた妻と2人の娘をキューバに残し[3]、他の選手ら7人と共にボートに乗って亡命を試みる。
実際には6メートルのエンジン付きの漁船であったが、ドラマチックに取り上げてもらおうと思ったエージェントは、いかだで荒波に出たと発表した[2]。カリブ海で沿岸警備隊によって拘束されたが、エージェントとキューバ系アメリカ人財団の働きかけにより、司法長官は人道的見地などから特別に在留許可を与えると発表する。しかしそうなるとドラフト対象選手となってしまうため、ヘルナンデスはコスタリカへの亡命を選択し、1998年3月にニューヨーク・ヤンキースと4年総額660万ドルで契約した。
[編集] ヤンキース
1998年のシーズンは開幕直前の契約となったため、調整のためマイナーリーグで9試合に登板後の6月3日に昇格、期待にそぐわぬ成績をあげ、チームのア・リーグ中地区優勝に貢献。新人王投票ではベン・グリーブに大差をつけられた4位であったが、25ポイントを獲得した。ポストシーズンでは2試合に登板し2勝、ワールドシリーズ制覇に貢献した。翌1999年は防御率こそ4点台ではあったがチーム最多の17勝[4]、ポストシーズンでは4試合に登板し3勝をあげ、リーグチャンピオンシップシリーズのMVPに選出された。チームは地区連覇、ワールドシリーズ連覇を果たした。
2000年もチームは地区、ワールドシリーズの3連覇をしたものの、個人成績はシーズン、ポストシーズンともいまひとつであった。2001年は左足親指の故障に悩まされ手術をするなど結果を残せず[3]、翌年も故障者リスト(DL)入りし、24試合の登板にとどまった。
2003年1月15日にはアントニオ・オスーナとマイナー一選手との交換で、シカゴ・ホワイトソックスにトレードされる。同日に、今度はバートロ・コロンとマイナー一選手との交換で、ロッキー・ビドル、ジェフ・リーファープラス金銭と共にモントリオール・エキスポズへ移籍、1日で2回トレードされてしまう。しかしこのシーズンは肩の関節鏡視下手術を受けたため、シーズン全休となってしまった[2]。
シーズン終了後にフリーエージェント(FA)となり再度ヤンキースと契約したものの、前年の手術の影響もあり2004年は15試合の登板にとどまり、シーズン終了後にはFAとなった。
[編集] ホワイトソックス~ダイヤモンドバックス~メッツ
2005年1月にシカゴ・ホワイトソックスと契約、2回のDL入りなどシーズン中は振るわなかったが、ポストシーズンではリリーフで2試合に登板し4回を投げ無失点と、チームのワールドシリーズ制覇に僅かながら貢献し、自身4個目のシリーズ優勝リングを手に入れた。オフの12月にハビアー・バスケスとの交換で、ルイス・ビスカイーノ、クリス・ヤングと共にアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍、2006年5月にはホルヘ・フリオとの交換でニューヨーク・メッツへトレードされる。2007年も度重なる肩や足の故障に悩まされながらも9勝をあげた[5]。
[編集] 年齢詐称疑惑
ヤンキース契約時は生年月日は1969年10月11日(38歳)と発表されていたが、1999年に明らかになったキューバでの離婚資料に記載されている生年月日は1965年10月11日(42歳)となっている[6]。MLB公式Webでは1969年生まれのままであるが、ESPNなどでは1965年生まれと表記している。
[編集] 選手としての特徴
86~90マイル(約138~145km)のツーシームとフォーシーム、カーブ、スライダー、チェンジアップが持ち球であるが、近年は怪我の影響でスピードは落ちている。どの球種でもストライクを取れる制球力を持っている。打ち気の打者には大きなカーブを使ったり、腕の角度を変えたりして翻弄する。まれに50マイル(約80km)の山なりの球も投げる。守備力は高く5番目の内野手とも言われる[5][7][8]。
[編集] 受賞歴・記録
- ア・リーグチャンピオンシップシリーズMVP:1回 (1999年)
- ワールドシリーズ制覇:4回 (1998年~2000年、2005年)
[編集] 年度別投手成績
投手成績 | ||||||||||||||||||||||||||
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年度 | 球団 | 登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
奪 三 振 率 |
W H I P |
1998 | NYY | 21 | 21 | 3 | 1 | 0 | 12 | 4 | 0 | -- | .750 | 574 | 141.0 | 113 | 11 | 52 | 1 | 6 | 131 | 5 | 2 | 53 | 49 | 3.13 | 8.36 | 1.17 |
1999 | 33 | 33 | 2 | 1 | 0 | 17 | 9 | 0 | 0 | .654 | 910 | 214.1 | 187 | 24 | 87 | 2 | 8 | 157 | 4 | 0 | 108 | 98 | 4.12 | 6.59 | 1.28 | |
2000 | 29 | 29 | 3 | 0 | 0 | 12 | 13 | 0 | 0 | .480 | 820 | 195.2 | 186 | 34 | 51 | 2 | 6 | 141 | 1 | 0 | 104 | 98 | 4.51 | 6.49 | 1.21 | |
2001 | 17 | 16 | 0 | 0 | 0 | 4 | 7 | 0 | 0 | .364 | 414 | 94.2 | 90 | 19 | 42 | 1 | 5 | 77 | 0 | 0 | 51 | 51 | 4.85 | 7.32 | 1.39 | |
2002 | 24 | 22 | 0 | 0 | 0 | 8 | 5 | 1 | 1 | .615 | 606 | 146.0 | 131 | 17 | 36 | 2 | 8 | 113 | 8 | 0 | 63 | 59 | 3.64 | 6.97 | 1.14 | |
2004 | 15 | 15 | 0 | 0 | 0 | 8 | 2 | 0 | 0 | .800 | 359 | 84.2 | 73 | 9 | 36 | 0 | 5 | 84 | 3 | 0 | 31 | 31 | 3.30 | 8.93 | 1.29 | |
2005 | CWS | 24 | 22 | 0 | 0 | 0 | 9 | 9 | 1 | 1 | .500 | 568 | 128.1 | 137 | 18 | 50 | 1 | 12 | 91 | 3 | 2 | 77 | 73 | 5.12 | 6.38 | 1.46 |
2006 | ARI | 9 | 9 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | 0 | .333 | 204 | 45.2 | 52 | 8 | 20 | 3 | 4 | 52 | 0 | 0 | 32 | 31 | 6.11 | 10.25 | 1.23 |
NYM | 20 | 20 | 1 | 0 | 0 | 9 | 7 | 0 | 0 | .563 | 495 | 116.2 | 103 | 14 | 41 | 2 | 8 | 112 | 1 | 3 | 58 | 53 | 4.09 | 8.64 | 1.58 | |
計 | 29 | 29 | 1 | 0 | 0 | 11 | 11 | 0 | 0 | .500 | 699 | 162.1 | 155 | 22 | 61 | 5 | 12 | 164 | 1 | 3 | 90 | 84 | 4.66 | 9.09 | 1.33 | |
2007 | NYM | 27 | 24 | 0 | 0 | 0 | 9 | 5 | 0 | 0 | .643 | 608 | 147.2 | 109 | 23 | 64 | 4 | 5 | 128 | 2 | 0 | 64 | 61 | 3.72 | 7.80 | 1.17 |
通算成績 | 219 | 211 | 9 | 2 | 0 | 90 | 65 | 2 | 2 | .581 | 5558 | 1314.2 | 1181 | 177 | 479 | 18 | 67 | 1086 | 27 | 7 | 641 | 604 | 4.14 | 7.44 | 1.26 |
[編集] 参考資料
- ^ a b "Biography and Career Highlights (英語)" MLB.com. 2008-03-19閲覧.
- ^ a b c d "Orlando Hernández - BR Bullpen (英語)" baseball-reference.com. 2008-03-19閲覧.
- ^ a b "The Ballplayers - Orlando Hernandez (英語)" BaseballLibrary.com. 2008-03-19閲覧.
- ^ "1999 New York Yankees Statistics and Roster (英語)" baseball-reference.com. 2008-03-19閲覧.
- ^ a b "Orlando Hernandez - New York Mets (英語)" Sportsnet.ca. 2008-03-19閲覧.
- ^ "The Smoking Gun: Archive (英語)" The Smoking Gun. 2008-03-19閲覧.
- ^ Gatto, Tom; Reid, Shawn and Shaw, Jeff [2005-12-30]. The Baseball Register & Fantasy Handbook 2006 (英語). Sporting News, 278. ISBN 0-89204-801-8 2008-03-19閲覧.
- ^ "Orlando Hernandez - Scouting (英語)" FOX Sports. 2008-03-19閲覧.
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
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投手 | 72 アダム・ボスティック / 40 アンビオリックス・ブルゴス / 36 ウィリー・コラーゾ / 25 ペドロ・フェリシアーノ / 48 アーロン・ハイルマン / 26 オーランド・ヘルナンデス / 49 ルディ・ルーゴ / 33 ジョン・メイン / 45 ペドロ・マルティネス / 32 カルロス・ムニス / 34 マイク・ペルフリー / 46 オリバー・ペレス / 50 デュアネル・サンチェス / 57 ヨハン・サンタナ / 60 スコット・ショーエンワイス / 35 ジョー・スミス / 39 クラウディオ・バルガス / -- ジェイソン・バルガス / 13 ビリー・ワグナー / 38 マット・ワイズ |
捕手 | 4 ロビンソン・キャンセル / 11 ラモン・カストロ / -- グスタボ・モリーナ / 23 ブライアン・シュナイダー |
内野手 | 1 ルイス・カスティーヨ / 21 カルロス・デルガド / 3 ダミオン・イーズリー / -- アンダーソン・ヘルナンデス / 7 ホセ・レイエス / 17 フェルナンド・タティース / 5 デビッド・ライト |
外野手 | 18 モイゼス・アルー / 9 マーロン・アンダーソン / 15 カルロス・ベルトラン / 10 エンディ・チャベス / 19 ライアン・チャーチ / -- ニック・エバンス / 6 トロット・ニクソン / 16 アンヘル・パガン |
監督・コーチ | 53 ジェリー・マニエル(監督代行) / 51 ルイス・アガヨ(三塁コーチ) / 90 サンディー・アロマー・ジュニア(捕手コーチ) / 2 サンディー・アロマー・シニア(ベンチコーチ) / 52 ガイ・コンティ(ブルペンコーチ) / 20 ハワード・ジョンソン(打撃コーチ) / 56 フアン・ロペス(ブルペン投手) / 55 ケン・オーバーケル(一塁コーチ) / 54 デイブ・ラカニエロ(ブルペン捕手) / 59 ダン・ワーゼン(投手コーチ) |
公式サイト(英語)より 40人ロースター 監督・コーチ一覧 2008年6月18日更新 |
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2 デレク・ジーター / 11 チャック・ノブロック / 18 スコット・ブロシアス / 20 ホルヘ・ポサダ / 21 ポール・オニール / 22 ホーマー・ブッシュ / 24 ティノ・マルティネス / 25 ジョー・ジラルディ / 26 オーランド・ヘルナンデス / 27 グレアム・ロイド / 29 マイク・スタントン / 33 デービッド・ウェルズ / 36 デービッド・コーン / 38 リッキー・レディ / 42 マリアノ・リベラ / 43 ジェフ・ネルソン / 45 チリ・デービス / 46 アンディ・ペティット / 47 シェーン・スペンサー / 51 バーニー・ウィリアムス / 55 ラミロ・メンドーサ 監督 6 ジョー・トーリ |
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2 デレク・ジーター / 11 チャック・ノブロック / 13 ジム・レイリッツ / 17 リッキー・レディ / 18 スコット・ブロシアス / 19 ルイス・ソーホ / 20 ホルヘ・ポサダ / 21 ポール・オニール / 22 ロジャー・クレメンス / 24 ティノ・マルティネス / 25 ジョー・ジラルディ / 26 オーランド・ヘルナンデス / 28 チャド・カーティス / 29 マイク・スタントン / 36 デービッド・コーン / 38 ジェーソン・グリムズリー / 39 ダリル・ストロベリー / 42 マリアノ・リベラ / 43 ジェフ・ネルソン / 45 チリ・デービス / 46 アンディ・ペティット / 51 バーニー・ウィリアムス / 55 ラミロ・メンドーサ 監督 6 ジョー・トーリ |
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2 デレク・ジーター / 11 チャック・ノブロック / 12 デニー・ネイグル / 13 ホセ・ビスカイーノ / 14 ルイス・ソーホ / 18 スコット・ブロシアス / 19 ルイス・ポローニア / 20 ホルヘ・ポサダ / 21 ポール・オニール / 22 ロジャー・クレメンス / 24 ティノ・マルティネス / 26 オーランド・ヘルナンデス / 28 デービッド・ジャスティス / 29 マイク・スタントン / 31 グレナレン・ヒル / 33 ホセ・カンセコ / 35 クレイ・ベリンジャー / 36 デービッド・コーン / 42 マリアノ・リベラ / 43 ジェフ・ネルソン / 46 アンディ・ペティット / 51 バーニー・ウィリアムス 監督 6 ジョー・トーリ |
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1 ウィリー・ハリス / 5 フアン・ウリーベ / 7 ティモニエル・ペレス / 8 カール・エバレット / 12 A.J.ピアジンスキー / 14 ポール・コネルコ / 15 井口資仁 / 18 クリフ・ポリート / 20 ジョン・ガーランド / 22 スコット・ポドセドニク / 23 ジャーメイン・ダイ / 24 ジョー・クリーディ / 26 オーランド・ヘルナンデス / 27 ジェフ・ブラム / 32 ダスティン・ハーマンソン / 33 アーロン・ローワンド / 34 フレディ・ガルシア / 35 フランク・トーマス / 36 クリス・ウィジャー / 38 パブロ・オズナ / 43 ダマソ・マーテ / 45 ボビー・ジェンクス / 46 ニール・コッツ / 51 ルイス・ビスカイーノ / 52 ホセ・コントレラス / 56 マーク・バーリー 監督 13 オジー・ギーエン |