ウプサラ
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ウプサラ (Uppsala) は、スウェーデン中部の都市で、ウプサラ県の県都。人口は約13万人(2000年)で、スウェーデン第4位。よりスウェーデン語に近い発音はウップサーラ。北欧最古の大学であるウプサラ大学がある。
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[編集] 地勢・産業
ストックホルムの約70km北、ストックホルム-アーランダ空港の約35km北に位置し、ストックホルムからは電車で45分ほど。フューリソン川河畔の大学街。19世紀後半より鉄道敷設が進んだことで、工業も発展をみせた。
1950年にはスウェーデンを代表する製薬会社だったファルマシアがウプサラに移転し、ウプサラ大学との共同研究により成長を遂げた。1995年のアップジョンとの合併、2000年のモンサントとの合併、そして2003年のファイザーによる買収にともないウプサラにおける拠点は縮小したが、ファルマシアを源流とするGEヘルスケア_バイオサイエンスをはじめとして、多くの生命科学企業が現在もウプサラで活動している。
また、MySQL_ABはウプサラを本社としている(現在は両本社制で、アメリカのクパチーノにも本社を構える)。
[編集] 歴史
街の中心から5kmほど北方の郊外に、ガムラ・ウプサラと称される遺跡があり、王の墳墓が残されている。中世初期、北欧各地でキリスト教化が進む中、ガムラ・ウプサラは異教の伝統を保ち続けており、11世紀ごろまでスウェーデン王を司祭とした大犠牲祭が行われていた。12世紀になると、キリスト教化が完了し、ガムラ・ウプサラにキリスト教の教会が建てられた。
現在のウプサラ市が発展する契機となったのは、この辺りが交易活動の拠点であったことと、1245年にガムラ・ウプサラの大聖堂が焼失したため、この地に大聖堂が移転して建設が始まったことが挙げられる。1435年に大聖堂は完成した。1471年、ウプサラ大学が建てられ(講義開始は1477年)、聖職者育成などに努めた。16世紀半ば、グスタフ1世によってウプサラ城が建てられた。また、1672年まで歴代のスウェーデン君主の戴冠式はウプサラで行われた。1702年の大火で街は深刻な打撃を受け、大聖堂の二本の尖塔も消失してしまったが、大聖堂も含めて街はその後復興を果たした。19世紀後半より、ウプサラと他都市を結ぶ鉄道の開通によって工業化も進んだ。
[編集] 文化
北欧最古の大学であるウプサラ大学が置かれる。コペンハーゲン大学(1479年成立)より8年早い1471年に建てられ、1477年より講義が開始された。16世紀に宗教改革の混乱の中一時閉鎖されるが、同世紀末に再建された。1622年にグスタフ2世アドルフによって建てられた建物(グスタヴィアヌム)は、スウェーデンの古代から中世の歴史などを示す博物館になっている。
[編集] 主要な出身者
- アクセル・オクセンシェルナ (17世紀のスウェーデン宰相、摂政)
- ウプサラ近郊で生まれた。グスタフ2世アドルフ、クリスティーナといった歴代国王を補佐し、「バルト帝国」とも称されるスウェーデンの大国時代を創出させた。
- アンデルス・セルシウス (18世紀の天文学者)
- ウプサラで生まれ、ウプサラ大学で天文学の教授を務めた。オーロラを観測、フランス王立科学アカデミーによる子午線弧長の測定に参加、ウプサラ天文台を設立。セルシウス度を考案した。
- ダグ・ハマーショルド (第2代国連事務総長)
- ウプサラで生まれた。国連事務総長として、紛争解決のために積極的に活動。1961年、コンゴ動乱の収拾のためコンゴへ向かう途中、飛行機が墜落、死去した。遺体はウプサラに埋葬されている。
- イングマール・ベルイマン (映画監督、脚本家、演出家)
- ウプサラで生まれた。20世紀を代表する映画監督の一人。『第七の封印』、『野いちご』、『沈黙』などの作品で知られる。
[編集] ウプサラ大学出身者
- カール・フォン・リンネ (18世紀の物学者)
- ウプサラ大学で植物学の教授を務めた。二名法という分類法で有名。ウプサラの街にはリンネ博物館があり、植物標本や庭園が展示されている。
- アンデルス・オングストローム (19世紀の物理学者)
- ウプサラ大学を卒業した彼は、1858年よりウプサラ大学の教授を務めた。スペクトルの研究などで知られ、オングストロームという単位に彼の名が残されている。
- ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ (19世紀から20世紀初頭の劇作家、文学者)
- 5年間に渡ってウプサラ大学で学んだ。「父」や「令嬢ジュリー」などの戯曲がよく知られている。
- スヴェン・ヘディン (19世紀後半から20世紀前半の探検家、考古学者)
- ロプノール、楼蘭への到達などで知られる探検家。ウプサラ大学で学んだ。