イワン・リュビチッチ
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イワン・リュビチッチ |
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基本情報 |
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ラテン文字名 | Ivan Ljubičić |
国籍 | クロアチア |
出身地 | ユーゴスラビア、バニャ・ルカ |
居住地 | モナコ公国・モンテカルロ |
生年月日 | 1979年3月19日 |
身長 | 193cm |
体重 | 86kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 片手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1998年 |
ツアー通算 | 8勝 |
シングルス | 8勝 |
ダブルス | 0勝 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | ベスト8(2006) |
全仏 | ベスト4(2006) |
全英 | 3回戦(2006・07) |
全米 | 3回戦(2005・07) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 3位 |
ダブルス | 70位 |
Template |
オリンピック | ||
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男子 テニス | ||
銅 | 2004 | ダブルス |
イワン・リュビチッチ(Ivan Ljubičić, 1979年3月19日 - )は、クロアチアの男子プロテニス選手。ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)領のバニャ・ルカ出身。シングルス自己最高ランキングは3位。2005年度の男子テニス国別対抗戦・デビスカップで、同僚のマリオ・アンチッチとともにクロアチア・チームを初優勝に導いた。身長193cm、体重86kg、右利き。
9歳からテニスを始め、13歳だった1992年の時にボスニア・ヘルツェゴビナを離れる。ジュニア時代には、1996年のウィンブルドン男子ジュニア部門で準優勝がある。1998年にプロ転向。1999年の全米オープンで4大大会に初出場を果たす。2000年のシドニー五輪で、オリンピックのクロアチア代表選手として初出場を果たし、男子シングルスでグスタボ・クエルテンとの3回戦まで進出した。2004年のアテネ五輪で2度目の五輪代表選手になり、男子ダブルスでマリオ・アンチッチとペアを組んで銅メダルを獲得している。
2005年10月、リュビチッチはフランス・メッツの大会とオーストリア・ウィーンの大会で2週連続優勝を遂げ、ようやくテニスキャリアに弾みをつけた。同年末の12月2日から4日、デビスカップのワールド・グループ決勝戦でクロアチアとスロバキアが対戦した。会場はスロバキアの首都ブラチスラヴァで行われたが、リュビチッチとマリオ・アンチッチのコンビが活躍し、「3勝2敗」でクロアチアにデ杯初優勝をもたらした。
リュビチッチはこれまで、4大大会では好成績に恵まれなかった。第7シードに選ばれた2006年の全豪オープンでは、準々決勝でキプロスの新星マルコス・バグダティスに 4-6, 2-6, 6-4, 6-3, 3-6 のフルセットで敗れてしまう。バグダティスには前年の2005年全豪オープン2回戦で初対戦した時も敗れており、同じ大会で2年連続の苦杯をなめることになった。同年の全仏オープンでは第4シードに選ばれ、自己最高成績となるベスト4進出を果たしたが、初めての準決勝で大会前年優勝者のラファエル・ナダルに 4-6, 2-6, 6-7 のストレートで完敗した。(4大大会の男子シングルスで、第1-第4シードの4名が順当に準決勝に勝ち残ったトーナメントは1995年ウィンブルドン選手権以来11年ぶりの出来事だった。)2006年度は、チェンナイ・オープン(インド)とクロアチア・ザグレブの大会で優勝があり、ウィーン大会の連覇も含めて年間3勝を挙げた。
2007年1月、リュビチッチは年頭のカタール・ドーハ大会の優勝でツアー通算7勝目を挙げたが、第4シードに選ばれた全豪オープンでは1回戦で2004年アテネ五輪の男子シングルス銀メダリスト、マーディー・フィッシュ(アメリカ)に敗れた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- イワン・リュビチッチ (英語) - ATPツアーのプロフィール
- デビスカップ成績表