アレクサンデル・ムニョス
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基本情報 | |
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本名 | アレクサンデル・ムニョス |
通称 | エクスプローシボ(爆薬) |
階級 | スーパーフライ級 |
国籍 | ベネズエラ |
誕生日 | 1979年2月8日(29歳) |
出身地 | ベネズエラ、ボリバル |
命日 | |
死地 | |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 34 |
勝ち | 32 |
KO勝ち | 27 |
敗け | 3 |
引き分け | |
無効試合 |
アレクサンデル・ムニョス(Alexander Muñoz、1979年2月8日 - )は、ベネズエラ出身のプロボクサー、前WBA世界スーパーフライ級王者。アマチュア時代には172戦163勝129KOという驚異的な戦績を誇り、1998年にプロデビュー。デビュー以来23連続KO勝利の記録を作った、ファイター型のボクサーである。5度来日している。
また9度も世界タイトルマッチを行いながら、日本人にしか世界戦で勝ったことのない(7勝2敗)という珍記録の日本人キラーの戦績を持つことでも日本のファンの間では知られている。
目次 |
[編集] 主な戦績
- 2002年3月9日、セレス小林と対戦、セレスから計5度のダウンを奪い8RTKO勝ち、WBA世界スーパーフライ級王者になる。
- 2002年7月31日、小島英次と対戦、わずか2RでのKO防衛に成功した。
- 2003年10月4日、本田秀伸と対戦、本田の見事なディフェンスにより、それまで続けていた連続KO勝利のレコードが止まってしまう。しかし圧倒的な手数と優勢に試合を進めて判定勝ちを収める。
- 2004年1月3日、小島英次と再戦、10RTKO勝ち、3度目の防衛に成功。
- 2004年12月3日、暫定王者マルティン・カスティーリョと王座統一戦を行う。この試合でムニョスは、人生で初のダウンを喫し、12R判定負け。自身のパーフェクトレコードに土をつけると同時に、2年9ヶ月守り続けてたベルトも失った。
- その後再起し、地域タイトルを獲った後、2006年1月21日、カスティーリョと再戦する。しかしこの試合もカスティーリョを倒せず、12R判定負け。
ちなみに2度目の防衛戦はトリプル世界戦のカードの1つであり、他にはWBA世界バンタム級暫定王者決定戦「戸高秀樹VSレオ・ガメス」やWBC世界バンタム級「ウィラポン・ナコンルアンプロモーションVS西岡利晃」と豪華なカードが組まれていた。
- 2007年5月3日、名城信男の持つWBAスーパーフライ級王座に挑戦し12回判定で勝利し、2年半ぶりの王者に返り咲いた。なおこの試合もトリプル世界戦で、他にWBC世界バンタム級「長谷川穂積VSシンピウェ・ベチェカ」、WBA世界スーパーフェザー級「エドウィン・バレロVS本望信人」が行われ、注目を集めた。
- 2007年9月24日初防衛戦で相澤国之の挑戦を受け、3-0の判定勝ちで退けて防衛に成功し、自身通算4度目のWBA世界スーパーフライ級王座防衛を果たした。
- 2008年1月14日、横浜文化体育館で元WBC世界スーパーフライ級王者川嶋勝重と対戦。3-0の判定勝ちで退けて防衛に成功し、自身通算5度目のWBA世界スーパーフライ級王座防衛を果たした。これで日本人ボクサーとの対戦成績は7連勝となった。
- 2008年5月17日、メキシコのゴメスパラシオでWBC世界スーパーフライ級王者のクリスチャン・ミハレス(メキシコ)と王座統一戦を行い、1-2の判定で敗れてWBA世界王座から陥落した。
[編集] 怪我
- 2003年2月16日、地元ベネズエラのカラカスでジョギング中、3人組に襲撃され左膝に銃弾を浴びる。病院に運ばれ手術を受けたが大事には至らなかった。
- 2004年4月、ベネズエラの自宅にて強盗に襲われ膝を負傷。そのため同月に予定されていた石原英康との4度目の防衛戦が中止となった。
[編集] 獲得タイトル
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
前王者 |
第15代WBA世界スーパーフライ級王者 |
次王者 マーティン・カスティーリョ |
前王者 |
第19代WBA世界スーパーフライ級王者 |
次王者 |