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アドミラル・シェーア (装甲艦) - Wikipedia

アドミラル・シェーア (装甲艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジブラルタルに入港するアドミラル・シェーア
艦歴
発注:
起工: 1931年6月25日
進水: 1933年4月1日
就役: 1934年11月12日
退役:
その後: 1945年4月10日沈没
除籍:
性能諸元
排水量: 基準:12,100 t、 満載:16,200 t
全長: 186 m (610 ft)
全幅: 21.6 m (71 ft)
吃水: 7.4 m (24 ft)
機関: マン社製ディーゼルエンジン 8基
2軸推進、52,050 hp (40 MW)
最大速: 28.5ノット (53 km/h)
航続距離: 20ノット時 8,900海里(37 km/h時 16,500 km)
兵員: 1,150名
兵装: 28 cm(11インチ)砲 6門
15 cm(5.9インチ)砲 8門
10.5 cm(4.1インチ)砲 6門
533 mm(21インチ)魚雷発射管 8門
37 mm 機関砲 8門
20 mm 機関砲 10門
装甲: 砲塔:160 mm
舷側:80 mm
甲板:40 mm
艦載機: ハインケル He 60 2機
(1939年よりアラド Ar 196

アドミラル・シェーア (der Admiral Scheer) はドイツ海軍ドイッチュラント級装甲艦の2番艦で、竣工時は装甲艦 (Panzerschiff) であったが後に重巡洋艦 (Schwerer Kreuzer) へ類別変更された。艦名は第一次世界大戦のドイツ大洋艦隊司令長官ラインハルト・シェアに因む。アドミラル・シェアやアドミラル・シェアーとも表記する。第二次世界大戦中にはテオドール・クランケ艦長の指揮下で通商破壊戦に従事し、最大の戦果をあげた水上艦艇であった。なぜか男性名詞の艦。

目次

[編集] 艦歴

1931年ヴィルヘルムスハーフェンの造船所で起工された。ヴィルヘルム・マーシャル (Wilhelm Marschall) を艦長に迎え、1934年に就役した。

スペイン内戦時にスペインに在留するドイツ人を国外に避難させるため、最初の任務は1936年から始まり、1938年6月末までにシェーアは8回に渡ってスペインに派遣された。1936年7月23日にアドミラル・シェーアはドイッチュラントと共にスペインへ派遣され、フランシスコ・フランコの率いる反政府軍にドイツから武器を輸送する船舶を護衛した。また、国際臨検部隊として人民戦線政府側に補給品を供給しているソ連船を調査した。第4回目の派遣時、1937年5月29日、姉妹艦のドイッチュラントがイビサ島沖で人民戦線政府側の航空攻撃を受けて死者31名を出した。その報復として2日後の1937年5月31日にアドミラル・シェーアは人民戦線政府側の戦艦の停泊するアルメリア港を砲撃した。

[編集] 第二次世界大戦

第二次世界大戦開戦後の1939年9月4日、アドミラル・シェーアはヴィルヘルムスハーフェンにてイギリス軍の爆撃機ブレニム5機による爆撃を受け、500ポンド爆弾3発が命中したがいずれも爆発しなかった。イギリス軍は1機を失った。続いて、第2波のブレニム5機が来襲したがドイツ軍は4機を撃墜した。ただ、そのうちの1機が軽巡洋艦エムデンに衝突し、エムデンで被害が生じた。姉妹艦が通商破壊のため出撃した頃、シェーアはオーバーホールを実施した。1940年の初期にシェーアは司令塔の改装を行い、艦種を装甲艦から重巡洋艦に変更された。1940年4月のノルウェー侵攻作戦、ヴェーザー演習作戦時には改装中であったため参加していない。

1940年10月23日、アドミラル・シェーアはバルト海のゴーテンハーフェンを出港して通商破壊戦に出撃、キール運河を経由し北海へ、28日にノルウェーのスタヴァンゲルに立ち寄ってから、10月31日、11月1日にイギリスに発見されずにデンマーク海峡を通って大西洋に進出した。最初の任務はカナダのハリファックスから出航したHX-84船団を攻撃することであった。船団の出航は敵側の無線傍受によって確認されていた。船団攻撃に向かい途中でイギリス船モパン(Mopan、5,389トン)を発見、停戦させて沈めた。それから、アドミラル・シェーアはHX-84船団に接近した。大戦初期は護衛艦の数が足りず、船団は最初の3日間しか駆逐艦の護衛を受けられなかったため、護衛はいないと考えられた。しかし、補助巡洋艦ジャーヴィス・ベイ (HMS Jervis Bay) が反撃したため、シェーアは逃走する船団を追跡する前にジャーヴィス・ベイを沈黙させねばならなかった。ジャーヴィス・ベイの反撃は船団に分散逃走する時間を与えたが、アドミラル・シェーアは38隻の船団の内、ジャービス・ベイとマイダーン(SS Maidan、7,908トン)、トレウェラード、カンベイン・ヘッド、ビーバーフォード(SS Beaverford、10,142トン)、フレズノ・シティを沈めた。この襲撃はイギリス海軍省の方針に影響を与え、以降、大船団は戦艦に護衛された。

イギリス海軍通商破壊艦を追い込もうと、いくつもの艦船を捕捉に派遣したが、シェーアは専属の補給艦ノルトマルク (Nordmark) と合流するため南大西洋へと逃れた。次の2か月間、何隻もの商船を拿捕して燃料や食糧を獲得した。中には冷蔵設備をそなえた食糧運搬船(デュケサ)がおり、南大西洋に展開するドイツ海軍の通商破壊艦や補給艦の乗員、さらには増える捕虜の食糧の心配を解消させる事になった。シェーアは1940年のクリスマスを中部大西洋に位置するトリスタン・ダ・クーニャ沖数100マイルで過ごし、1941年2月からはインド洋に進出し、仮装巡洋艦アトランティスと合流している。インド洋では2隻を拿捕したが、2隻目が発した救難信号でイギリスの巡洋艦が呼び寄せられ、インド洋での最後の成果となってしまった。シェーアは包囲の輪の閉じないうちに喜望峰をまわり大西洋に逃れた。その後補給を受けたシェーアは北に向かい、3月27日にデンマーク海峡を抜けて3月30日にノルウェーのグリムスタフィヨルドに投錨。そして翌4月1日にキールに帰還した。この出撃でシェーアは6,000海里以上を航海し、ジャーヴィス・ベイと16隻の商船、合計で9万959トンを撃沈または拿捕した。

整備を終えたアドミラル・シェーアは1941年9月からバルト海艦隊に所属した。1941年9月4日、アドミラル・シェーアはシュヴィーネミュンデを出港しカテガット海峡で慣熟航海をおこなった。その際にオスロに寄航したアドミラル・シェーアをB-17爆撃機が攻撃しようとしたが失敗に終わった。9月23日、アドミラル・シェーアは戦艦ティルピッツ、軽巡洋艦ケルンニュルンベルク駆逐艦Z25、Z26Z27、水雷艇T2、T5、T7、T11と共にソ連艦隊出撃阻止のためシュヴィーネミュンデからオーランド海へ出撃した。だが、ソ連艦隊は空軍の攻撃により撃破されたため艦隊は引き揚げた。

1942年2月21日、アドミラル・シェーアは重巡洋艦プリンツ・オイゲン、駆逐艦5隻と共にブルンスビュッテルを出港してノルウェーへ進出した。5月9日から10日にアドミラル・シェーアは水雷艇T5、T7とタンカーディトマルシェン(Dithmarschen)を伴ってトロンハイムからナルヴィクへと移動した。

同年7月2日、リュッツォウPQ17船団攻撃のため出撃したが、船団が襲撃を察知して逃走を図ったため、シェーアとリュッツォウは引き返した。8月16日、アドミラル・シェーアはナルヴィクからカラ海での通商破壊に出撃した。これはヴンダーラント作戦という。作戦中アドミラル・シェーアは8月25日にはゼラニア岬を砲撃し、同日ソ連の砕氷艦アレクサンダー・シビリャコフ (SS Aleksandr Sibiryakov)を沈め、8月27日にはディクソンを攻撃して8月30日にナルヴィクに帰還した。

ドイツ海軍総司令官エーリッヒ・レーダーが辞職したのち、Uボート戦の司令官であったカール・デーニッツがその座についた。その後、ドイツ海軍の水上艦隊はめったに出撃することがなくなった。1944年の秋季にソルブ半島で退却中のドイツ陸軍を砲撃で支援し、1945年の1月から2月を通して火力支援に従事した。3月には砲身交換のためキールに戻った。1945年4月9日の夜、300機以上のイギリス空軍機による爆撃を受けたシェーアは造船所内で横転、沈没した。大部分の乗組員は陸上に移っていたが、32名が戦死した。戦後は造船所を埋めて駐車場を作るため、船体の上部を解体した。残った部分は瓦礫の下に埋まっている。

[編集] 参考文献

  • テオドール・クランケ/H.J.ブレネケ『ポケット戦艦 アドミラル・シェアの活躍』伊藤哲(訳)、早川書房、1980年、 ISBN 9784150500665
  • ゴードン・ウィリアムソン『世界の軍艦イラストレイテッド 2ドイツ海軍のポケット戦艦1939-1945』柄澤英一朗(訳)、大日本絵画、2005年、ISBN 9784499228992

[編集] 外部リンク


ドイッチュラント級装甲艦

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