利用者:Shun Zero
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こんにちは。ぼくのハンドル名は Shun です。ぼくはいま日本に住んでいます。
ぼくはある会社のソフトウエアエンジニアとしてはたらいています。ぼくがいま使っているプログラム言語は C++ です。組み込みOS上のミドルウエアを作っています。ぼくは陸軍や海軍にいたことはありませんが、ぼくの家族のお年寄りや親戚は、第2次大戦中にいたことがあります。ちいさいこどものころお年寄りたちのたくさん集まっている在郷軍人会にいって話をきかされたことをおぼえています。
ぼくは飛行機がすきです。ぼくは小学校のときと中学校のときライトフライヤー型の飛行機をたのしんでいました。みんなはモケイヒコーキとかライトプレーンとかよんでいました。ぼくは秋の収穫のおわったあとのひろい農地でひらかれた競技会で学校の賞をとったことがあります。このタイプのゴム動力でとぶライトフライヤー型の飛行機は、アメリカでは Science Olymiad specification 規格の競技飛行機キットとしてみんなによく知られている模型飛行機にとても似ています。
ぼくは彼からゴム動力のライトフライヤー型飛行機の楽しみ方をならいました。ぼくは翼の迎え角、両方の翼の端を3度ほどねじって前ふちを下げる、プロペラシャフトをプロペラのサイズにしたがって1.5度から3度左にふることをまなびました。
彼はこれらの基礎的な技術を、1944年から1945年の日本帝国海軍航空隊の飛行予科練の学校にいたあいだにまなんだことをおもいだしていました。彼は 2 等飛行兵曹の少年だったそうです。戦争の最後の年に燃料のたくわえと訓練のための飛行機がなくなったので、彼はフネにのって攻撃する神風特攻隊に志願した、とききました。
彼は「いさぎよさ」にしたがい、1945年8月15日にすべてがおわりました。なぜなら、神風特攻隊は民族の復讐ではなく、連合軍に対する本土防衛の軍の最後の作戦だったからです。戦争はおわり、彼は農夫になりました。
ぼくは、あの時代の日本にいて、国民の責任として軍の任務に従った多くの人を尊敬します。家族にさようならをして、前線で飢えて苦しみながら死に、勇ましく戦い、戦争がおわり、いつか平和条約がむすばれてふるさとに無事にもどることを待ちのぞんでいた。
ぼくは、あの時代の日本にいた、ひとつかみの下品な、ほらふきなリーダーたちや財閥たちをすこしも尊敬しません。かれらはほんとうは日本や東アジアに民主主義や人々の平等をひろげようという気持ちはすこしもなく、じぶんだけの名誉とお金、国の力をじぶんのものにしようと封建的な欲望で戦争をすすめていた。
ぼくの関心は零戦、エースたち、第2次大戦の飛行機、その歴史と科学です。
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--Shun Zero 2008年5月1日 (木) 18:37 (UTC)