鷹司師平
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鷹司 師平(たかつかさ もろひら、延慶3年(1310年) - 文和2年/正平8年8月6日(1353年9月4日))は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての関白。父は鷹司冬平。母は家女房の左近衛中将近衛兼良女。照光院(昭光院)関白と号した。
正中2年(1325年)12月叙爵。右近衛中将から、嘉暦2年(1327年)6月従三位非参議に叙せられる。嘉暦3年(1328年)3月権中納言に任じ、累進して、建武4年/延元2年(1337年)7月内大臣になる。暦応2年/延元4年(1339年)12月右大臣に進み、康永元年/興国3年(1342年)11月関白・藤氏長者になった。康永3年/興国5年(1344年)正月従一位になる。貞和2年/正平元年(1346年)2月関白を辞する。文和2年/正平8年(1353年)8月5日、中風を患い出家し法名を禅理と称したが、翌日没した。享年44歳だった。