鷹司冬教
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鷹司 冬教(たかつかさ ふゆのり、永仁3年(1295年) - 建武4年/延元2年1月26日(1337年2月27日))は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての関白。父は鷹司基忠。母は中納言衣笠経平女。後円光院関白と号した。
延慶2年(1309年)正月叙爵。同年11月従三位非参議に叙せられる。翌年2月権中納言に任じ、元応2年(1320年)4月左大将を兼ね、翌々年8月内大臣になった。正中元年(1324年)4月左大臣になり、元徳元年(1329年)正月従一位になり、翌年8月関白になった。正慶2年/元弘3年(1333年)5月17日、後醍醐天皇の詔のよって関白職を解かれた。翌年10月右大臣に任ぜられ、同時に藤氏長者になった。建武2年(1335年)2月左大臣に復し、同年11月大臣職及び藤氏長者を辞した。建武4年/延元2年(1337年)1月26日、43歳で没した。