鳥羽城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鳥羽城 (三重県) |
|
---|---|
鳥羽城 |
|
通称 | 鳥羽の浮城、錦城、二色城 |
城郭構造 | 平山城・海城 |
天守構造 | 三層層天守閣 |
築城主 | 九鬼嘉隆 |
築城年 | 文禄3年(1594年) |
主な改修者 | 内藤忠重 |
主な城主 | 九鬼家、内藤家、土井家、稲垣家など |
廃城年 | 明治4年(1871年) |
遺構 | 石垣 |
指定文化財 | 県指定史跡 |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯34度28分50.977秒 東経136度50分40.379秒 |
鳥羽城(とばじょう)は、志摩国答志郡鳥羽(現在の三重県鳥羽市鳥羽)にあった城。 水軍の城で、大手門が海側へ突出して築かれたため、鳥羽の浮城、また、城の海側が黒色、山側が白色に塗られていた為、二色城、錦城とも呼ばれる。 鳥羽藩の藩庁が置かれた。
目次 |
[編集] 概要
1594年(文禄3年)当時、豊臣秀吉の家臣であった九鬼嘉隆が志摩国答志郡鳥羽に築城する。九鬼家3代、内藤家3代、天領、土井家1代、大給(松平)家1代、板倉家1代、戸田(松平)1代と目まぐるしく城主が代わり、稲垣家8代で漸く定着した。
[編集] 現在
鳥羽水族館の裏手に低い丘が見える。そこが九鬼水軍の本拠地があった鳥羽城である。本丸が鳥羽小学校(校舎の老朽化に伴い、鳥羽市堅神町への移転が決まっている)のグラウンドとなり、市役所・城山公園・旧鳥羽幼稚園などが城跡に造られていて、遺構も石垣程度しか残されていない。