鬼塚忠久
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鬼塚 忠久 | ||
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名前 | ||
カタカナ | オニヅカ タダヒサ | |
ラテン文字 | ONIZUKA Tadahisa | |
基本情報 | ||
国籍 | 日本 | |
生年月日 | 1955年7月3日(52歳) | |
出身地 | 滋賀県甲賀郡 | |
身長 | 169cm | |
体重 | 63kg | |
選手情報 | ||
ポジション | FW
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鬼塚 忠久(おにづか ただひさ、1955年7月3日 - )は滋賀県甲賀郡出身の元サッカー選手。
目次 |
[編集] 来歴
甲賀高等学校(現、滋賀県立水口高等学校)時代[1]はセンターフォワードとして活躍。卒業後の1974年に日本サッカーリーグ1部の古河電工に入部。その後、CFからウイングにコンバートされ、後もこのポジションを長く務め古河の中心選手の一人として活躍した。サイドからのドリブル突破を得意としたウインガーとして、1982年度にはアシスト王にも輝いた。
引退後は、Jリーグの解説者などをつとめ、2004年から2008年まで水戸ホーリーホックの強化部長を務めた。
[編集] 所属クラブ
- 甲賀高等学校(現、滋賀県立水口高等学校)
- 1974年-1985年 古河電気工業サッカー部