高木正弘
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高木 正弘(たかぎ まさひろ、慶長18年(1613年) - 明暦4年6月23日(1658年7月23日))は、河内丹南藩の第3代藩主。
第2代藩主・高木正成の長男。母は山口重政の養女(竹田某の娘)。正室は柴田康長の娘。子に高木正盛(長男)、高木清長(次男)、高木正綱(三男)、娘(板倉重形正室)、娘(石川総氏正室)。官位は従五位下。主水正。幼名は善次郎。
寛永8年(1631年)、上総国内で1000石を与えられた。寛永12年(1635年)、父の死去により後を継ぐ。このとき、家督相続前に与えられていた1000石は没収され、父が生前に与えられていた3000石の加増分も高木正好、高木正房の2人の弟に分与した。
大番頭、次いで二条城の守衛となったが、在任中の明暦4年(1658年)6月23日に死去した。享年46。後を長男の正盛が継いだ。墓所:京都市左京区黒谷町の金戒光明寺光守院。
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