饗宴
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饗宴(きょうえん)
- 客を招いて酒を飲み交わすこと。
- (symposion)古代ギリシアにおいて、もともと一緒にぶどう酒を飲むことを指した。シンポジウムの語源にもなる。
- 古代ギリシアの哲学者プラトンによる著書。(本項で詳述する)
- 中世イタリアの詩人・政治家ダンテ・アリギエーリによる著作。
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[編集] 概要
『饗宴』(きょうえん)はプラトンの対話篇のひとつ。原題は「シュンポシオン」。年代的には中期に属し、そのイデア論を代表する著作の一つである。トラシュロスによる伝統的副題は「恋について」。恋とはエロース(愛)である。主な語り手は、哲学者ソクラテス、喜劇作家アリストパネス、のちの政治家アルキビアデスなど。
対話篇の設定はやや複雑であり、語り手が二重に設定されている。対話篇の内容全体は、アテナイの悲劇詩人アガトンが悲劇のコンクールで優勝し、その祝いに友人を招いて行った饗宴での会話として設定される。ソクラテスはこの出席者のひとりである。この饗宴の内容を後年、ソクラテスの崇拝者のひとりが語って聞かせるという二重の構造をもつ。標題『饗宴』はこのアガトンの祝賀饗宴を指す。
[編集] 構成
対話篇は大きく三つの部分にわかれる。
- エロス賛美の演説 - アガトンの祝宴に招かれたソクラテスとアガトンの対話から、ソクラテスの提案で、愛の神エロスを賛美する演説を行うこととなる。パイドロス、エリュクシマコス、アガトン、アリストパネスが演説を行う。【訂正必要?…上記では、ソクラテスの提案となっていますが、最初に提案したのはエリュキシマコスです。で、提案の理由は、同じく祝宴に参加している。ファイドロスがつねづね憤慨していたことを受けて、との事。ソクラテスとその他の人達は承認したという事です。上記と名前が多少違っているのは訳が違うからでしょう。岩波文庫601-3久保勉訳】
- ソクラテスの演説 - ソクラテスは自分の説ではなく、マンネンティア出身の婦人ディオティマに聞いた説として、愛の教説を語る。
愛(エロース)とは欠乏と富裕から生まれ、その両方の性質を備えている。ゆえに不死のものではないが、神的な性質を備え、不死を欲求する。すなわち愛は自身の存在を永遠なものにしようとする欲求である。これは自らに似たものに自らを刻印し、再生産することによって行われる。このような生産的な性質をもつ愛には幾つかの段階があり、生物的な再生産から、他者への教育による再生産へと向かう。愛は真によいものである知(ソピアー)に向かうものであるから、愛知者(ピロソポス)である。愛がもとめるべきもっとも美しいものは、永遠なる美のイデアであり、美のイデアを求めることが最も優れている。美の大海に出たものは、イデアを見、驚異に満たされる。これを求めることこそがもっとも高次の愛である。(以上、ディオティマの説) - アルキビアデスの乱入 - ソクラテスの信奉者である若いアルキビアデスが登場する。アルキビアデスはすでに酔っており、ソクラテスが自分をいかに愛さなかったか、自分がソクラテスを愛者(当時のアテナイでは、パイデラスティアー(paiderastia少年愛)という年齢が上のものが下のものを愛人とし、さまざまな庇護や社会についての知識を与えるのが通例であった)にしようとしていかに拒まれたか、また戦場でソクラテスの態度がいかに立派なものであったかを語る。これはいままで抽象的に展開されてきた愛を体現した人として、プラトンが師の肖像を描こうとした部分といえる。
アルキビアデスの乱入のあと、饗宴は混乱し、夜通し騒いだ後みなが宴席で寝静まったところに、ソクラテスは酔い乱れることもなく、体育場へ出て行く。
なおエロスに関する演説の部分では、ソクラテスの同時代人の文体と思想がさまざまに模倣されている。特に有名なものは、アリストパネスのくだりである。
- 男と女はもと背中合わせの一体(アンドロギュロス)であったが、神によって2つに切り離された。このため、失われた半身を求めるのだ、というもの。この部分はテクストの文脈を離れてしばしば参照される有名な部分である。(配偶者のことをBetterhalf、Otherhalfというのも、この説話に由来する)
[編集] その他
ソクラテスが言及するディオティマは、「恋のことでもその他のことでも、何にでも通じる知者」とされる。ヘルダーリンの『ヒュペリオーン』に登場するディオティーマの造形はこれに多く拠っている。ディオティマは紀元前430年頃にはアテナイにいた実在の人物のように書かれているが、一般にプラトンの創作の人物であると考えられている。ただしフェミニズム哲学では、ディオティマの実在性を主張し、女性哲学者としての地位を与えようとする試みがある。