飾磨県
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飾磨県(しかまけん)は、明治初期に、兵庫県姫路市を中心として存在した県。当初の名称は姫路県(ひめじけん)であったが、発足後7ヶ月で改称された。後に兵庫県に統合されて廃止された。
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[編集] 概要
廃藩置県により1871年(明治4年)4月に旧姫路藩に設置された姫路県(ひめじけん)を母胎として同年11月に播磨国国内の各県が統合されて新しい「姫路県」が成立したが、統合から1週間で飾磨県(しかまけん)に改称した。旧姫路藩は譜代の佐幕藩であり、県名として姫路の名称を使うことが明治政府によって嫌われたためと考えられている。
1876年(明治9年)、府県統廃合の原案を練っていた内務卿・大久保利通は、国家的見地から、兵庫港を国際貿易港としての中心的な役割に発展させるため、当時まだ規模の小さい兵庫県に、物産豊かな飾磨県を編入することを考えた。この統合は実施されることとなり、飾磨県は廃止された。
1880年(明治13年)頃、飾磨県の再設置運動が活発化したが、実現することはなかった。
[編集] 沿革
- 1871年(明治4年)7月14日:廃藩置県により姫路藩(15万石)が姫路県(第一次)となる。
- 1871年(明治4年)11月2日:府県統合により播磨国が姫路県(第二次)に統合。
- 1871年(明治4年)11月9日:飾磨県に改称。
- 1876年(明治9年)8月21日:兵庫県へ編入。飾磨県廃止。