顔回
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顔回(がんかい、紀元前514年 - 紀元前483年)は、孔子の弟子。字は子淵(しえん)。字より顔淵(がんえん)ともいう。魯の人。孔門十哲の一人で、随一の秀才。 孔子にその将来を嘱望されるも夭折する。顏回は名誉栄達を求めず、ひたすら孔子の教えを理解し実践することを求めた。その暮らしぶりは極めて質素であったという。このことから老荘思想発生の一源流とみなす説もある。
論語には顔回への賛辞がいくつか見られる。たとえば孔子が「顔回ほど学を好む者を聞いたことがない」(雍也第六、先進代十一)や同門の秀才子貢が、「私は一を聞いて二を知る者、顔回は一を聞きて十を知る者」(公冶長第五)、と述べたことが記載されている。顔回は孔子から後継者として見なされていた。それだけに早世した時の孔子の落胆は激しく、顏回の死を聴かされた時に、孔子は「ああ、天われをほろぼせり」と慨嘆したことは有名である。
[編集] 小説
- 酒見賢一 『陋巷に在り』 新潮社、ISBN 4101281130 他
- 顔回が主人公である。魯の国の呪術集団、顔儒(がんじゅ)の後継者と設定されている。