青江舜二郎
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青江舜二郎(あおえ しゅんじろう、1904年11月26日 - 1983年4月30日)は、秋田県秋田市生まれの劇作家、評論家。本名は大嶋長三郎。
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[編集] 経歴
1904年(明治37)11月26日、薬卸小売商「衛生堂」の長男として誕生。衛一と命名されるが、11歳の時に父が逝去したため、その名前を継いで以後は長三郎を名乗る。旧制秋田中学(現在の秋田県立秋田高等学校)、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学文学部印度哲学科卒業。
大学在学中、第九次「新思潮」同人となり、そこに掲載された戯曲『火』が小山内薫に認められ、師事する。大学卒業後、香川県社会教育主事として高松に赴任するが、劇作に専念するため3年後に再度上京。『河口』『一葉舟』などの戯曲を発表する。1938年(昭和13)、日中戦争のため召集され、終戦までの約8年間を宣撫官として中国大陸で過ごす。 戦後は『西太后』『黄炎』などの戯曲を世に送り出す一方、草創期のテレビドラマの脚本も数多く執筆。また、鎌倉アカデミア、日本大学芸術学部などの教授を歴任、後進の指導に当たった。
1958年(昭和33)、聖徳太子の生涯を独自の仏教観で綴った長編戯曲『法隆寺』で第5回岸田演劇賞を受賞。晩年は、民族学的見地からの演劇研究書や評伝の執筆に力を注ぎ、主な著書に『演劇の世界史』『日本芸能の源流』『竹久夢二』『石原莞爾』『宮沢賢治・修羅に生きる』『狩野亨吉の生涯』などがある。1983年(昭和58)4月30日、痛風腎による尿毒症のため逝去。
1985年(昭和60)4月30日、三回忌に際し随想集『引っ越し魔の調書』が刊行された。また、2005年(平成17)には生誕百年の記念イベントが日本大学芸術学部で催されたほか、『水のほとり』『実験室』の二戯曲が、長男で映画監督の大嶋拓の手によってDVD化された。
[編集] 作品リスト
[編集] 長編戯曲
- 河口 (1937)
- 一葉舟 (1939)
- 我が祈り我が歌 (1952)
- 黄炎 (1954)
- 白帝城 (1957)
- 風雲島原戦記 (1957)
- 法隆寺 (1958)
- 西太后 (1961)
- デクノボー (1975)
[編集] 短編戯曲
- 火 (1927)
- 見物教育 (1927)
- 避暑地です (1927)
- 眠いのは春のせいだよ (1928)
- 水のほとり (1928)
- 僕達親子 (1929)
- 人気投票 (1930)
- 崖 (1948)
- 実験室 (1949)
- ミシン (1950)
- 冬のバラ (1951)
- 振子 (1954)
- 忘れた尺八 (1955)
- 孔子の秋 (1956)
- ゲイとルン (1956)
- 明治三十三年 (1957)
- やけどした神様 (1959)
- むこえらび (1962)
- その電車に乗っていた (1964)
- 銃殺 (1969)
- ジェツチェカ氏 (1970)
- 青江舜二郎一幕劇集I (未来社 1957)
- 青江舜二郎一幕劇集II (未来社 1963)
[編集] 小説
- 海につづく国道 (「秋田魁新報」連載 1934)
- 窃まれた唇 (「秋田魁新報」連載 1951)
- ラーマの旅 (「読売新聞」日曜版連載 1955)
[編集] 脚本(映画)
- 甲賀屋敷 (監督:衣笠貞之助 1949)
- モンテンルパ望郷の歌 (監督:村田武雄 1953)
[編集] 研究書
- 仏教に於ける人間の探究 (同文館 1938)
- 演劇の本質と人間の形成 (誠文堂新光社 1953)
- 戯曲の設計 (早川書房 1958)
- 演劇の世界史 (紀伊国屋書店 1966)
- 日本芸能の源流 (岩崎美術社 1971)
[編集] 評伝
- 河口慧海 (国土社 1957)
- 竜の星座・内藤湖南のアジア的生涯 (朝日新聞社 1966)
- 竹久夢二 (東京美術 1971)
- 石原莞爾 (読売新聞社 1973)
- 宮沢賢治・修羅に生きる (講談社現代新書 1974)
- 狩野亨吉の生涯 (明治書院 1974)
- マハートマ・ガンディーの世紀 (未刊行)
[編集] 翻訳
[編集] 紀行・戦記
- 大日本軍宣撫官 (芙蓉書房 1970)
- シルクロードのドラマとロマン (芙蓉書房 1973)
[編集] 随筆
- 引っ越し魔の調書 (私家版 1985)