隆慶帝
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政権 | 明 |
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廟号 | 穆宗 |
諡号 | 契天隆道淵懿寛仁顕文光武純徳弘孝荘皇帝 |
姓・諱 | 朱載垕 |
生没年 | 1537年 - 1572年 |
在位期間 | 1566年 - 1572年 |
父 | 嘉靖帝(第3子) |
母 | 康妃杜氏 |
陵墓 | 昭陵 |
元号 | 隆慶:1567年 - 1572年 |
隆慶帝(りゅうけいてい 1537年 - 1572年 在位1566年 - 1572年)は中国明朝の第13代皇帝。諱は載垕(さいこう)(垕の字は后の下に土)。廟号は穆宗(ぼくそう)。日本では在位中の元号から一般的に隆慶帝と称されている。
目次 |
[編集] 生涯
嘉靖帝の第3子として生まれ、1539年(嘉靖18年)に裕王に封じられている。嘉靖帝の晚年、明朝は内政の乱れの他に、「南倭北虜」と称される倭寇とタタールによる侵攻にさらされていた。隆慶帝は即位後、嘉靖帝の弊政を改革すべく、嘉靖帝時代に諫言により罪を得ていた徐階、海瑞などの人材を登用し、それまで朝廷で権勢をふるっていた道士を一掃した。また疲弊する国庫を建て直すため、海外貿易を開放し、倭寇、タタールに対して、ある程度の貿易を認める柔軟策で対外的にも安定した時代を現出した。
しかし隆慶帝自身は凡庸な皇帝であり、朝政を省みずその政務は大学士に代行されていた。また酒色に溺れ享楽を求めた生活のため若くして崩御している。
[編集] 宗室
[編集] 后妃
- 孝懿荘皇后
- 孝安皇后
- 孝定皇后
[編集] 子
- 憲懐太子朱翊釴
- 靖悼王朱翊鈴
- 神宗朱翊鈞
- 潞簡王朱翊鏐
[編集] 女
- 蓬莱公主
- 太和公主
- 寿陽公主
- 永寧公主
- 瑞安公主
- 延慶公主
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