長崎病院 (広島市)
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医療法人厚生堂長崎病院(いりょうほうじん・こうせいどうながさきびょういん)は、広島県広島市西区にある民営の病院。地元では、旧名の「長崎厚生堂」と呼ぶ人も多い。
1945年(昭和20年)8月6日の原爆投下時に、隣接する国鉄横川駅の陰になったため、奇跡的に軽微な損害で済み、負傷者救護の拠点として機能したことで知られる。 そのことにより、先代院長(故人)は火傷の名医として全国的に知られていた。
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[編集] 所在地
- 広島県広島市西区三篠町1丁目10番12号他
[編集] 診療科
[編集] エピソード
前述の通り、火傷の名医として知られる病院だが、実は原爆投下以前は消化器科専門病院だった。原爆により重度の火傷患者が大量に発生したため、先代院長は必要に駆られて火傷の治療法を習得したのであるが、最終的には、その名声を頼って長崎からも被爆者が来院するほどとなった。
(因みに、病院名の「長崎」は院長の苗字で、長崎県や長崎市とは無関係)
また、被爆以外での重度の火傷患者も多数救済された。2000年に神戸市で発生したテレクラ放火殺人事件において、自らも火傷を負った犯人の一人が、長崎病院に治療に訪れたところを逮捕されたことでも有名である。
この時、兵庫県警から「犯人の一人が火傷を負ったまま、山陽方面へ逃走中」との連絡を受けた広島県警は、真っ先に長崎病院に捜査員を張り込ませた。また、犯人逮捕時、報道では長崎病院の名は伏せられたが、広島市民は皆、「ああ、長崎厚生堂で捕まったんじゃろう」と思ったと言う。