金子宗平
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金子宗平(かねこ・そうへい)は、昭和時代の日本の陸上競技選手。元円盤投日本記録保持者。ローマオリンピック代表・東京オリンピック代表。日本選手権5連覇、日本記録更新7回など、数々の金字塔を打ち立てた日本陸上史に残る名選手である。群馬県沼田市出身。
目次 |
[編集] 出身校
[編集] 略歴
- 1955年、第2回インターハイで優勝
- 1957年、パリ・ユニバーシアードに出場。日本選手団の旗手を務めた。また、この年に初めて日本選手権で優勝。以後1961年まで5連覇。
- 1958年、46m49の日本新記録を樹立。以後6回にわたって日本記録を更新した
- 大学卒業後、リッカーミシンに入社。
- 1959年、東日本実業団選手権で45m71をマークし優勝、砲丸投も12m59で制す。以後1961年まで3連覇
- 1960年、ローマオリンピックに出場。予選で敗退
- 1962年、ジャカルタで開催された第4回アジア大会に出場。銅メダルを獲得した
- 1963年、50m92を投げて東日本実業団選手権を再び制す。プレオリンピックとして開催された東京国際スポーツ大会で日本選手団旗手の大役をつとめた。大会でも51m10の日本新記録を樹立した。
- 1964年、東京オリンピックに出場。上位進出が期待されたが、46m46で予選敗退
- 2002年、胃がんと診断され、手術を受けた
- 2006年、すい臓がんのため死亡した。
[編集] エピソード
- 日本選手権5連覇の偉業を成し遂げる。この記録は2004年に畑山茂雄が後進するまで40年近く破られなかった
- 十種競技日本記録保持者の金子宗弘は実子。宗弘が1986年の山口インターハイで優勝した際には、親子二代での優勝として話題になった
- 晩年はアマチュアゴルフ選手として活躍。群馬県都市対抗ゴルフ選手権優勝、群馬県シニアゴルフ選手権優勝などの成績を誇る群馬県屈指のプレーヤーとして活躍した。