野崎靖博
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野崎 靖博(のざき やすひろ、昭和15年6月24日 - )は日刊スポーツ元編集委員。石川県生まれ。眉毛がとてつもなく太くて濃いためついたあだ名はまゆげのノーさん。
[編集] 経歴
昭和35年、東京都立桜町高等学校から中央大学法学部法律学科に入学。昭和39年に同大学を卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。校閲部を経て、昭和43年には野球部に配属。その後コミッショナー事務局、遊軍記者を経て、昭和55年12月に野球部次長に就任。この間、昭和61年4月よりテレビ朝日『ニュースステーション』に出演、木曜日のプロ野球コーナーを担当した。
平成12年で定年となるはずだったが(同年初頭の自身のコラムでもそれについて触れていた)、平成17年12月まで日刊スポーツ編集委員を務めた[1]。
退社後の現在はスポーツジャーナリストとしてテレビ・ラジオで活躍中。
[編集] 脚注
- ^ 毎日新聞のように「特別編集委員」「特別顧問」など特別な肩書が日刊スポーツにはないのか、あっても野崎が辞退したのか、肩書は単なる「編集委員」である。