酒井忠当
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時代 | 江戸時代前期 | |||
生誕 | 元和3年8月5日(1617年9月4日) | |||
死没 | 万治3年2月9日(1660年3月20日) | |||
別名 | 小五郎 | |||
墓所 | 山形県鶴岡市 | |||
官位 | 従四位下・摂津守 | |||
藩 | 出羽国庄内藩2代藩主 | |||
氏族 | 左衛門尉酒井家4代当主 | |||
父母 | 父:酒井忠勝 母:鳥居忠政の娘(側室の花の丸殿とも) |
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兄弟 | 酒井忠当、酒井忠俊、酒井忠恒、 酒井忠貫、酒井忠盛、酒井忠直、 酒井忠興、山名恒豊 |
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妻 | 正室:松平信綱の娘・千万 | |||
子 | 酒井忠義、 養女:堀直輝正室(松平正綱の娘) |
酒井 忠当(さかい ただまさ)は、江戸時代初期の出羽国庄内藩2代藩主、左衛門尉酒井家4代当主。幼名は小五郎。官職は従四位下・摂津守。
先代藩主・酒井忠勝の長男、母は鳥居忠政の娘(側室の花の丸殿とも)。
叔父で旗本の酒井忠重が忠当を廃嫡にしようとしたため、家臣のうち藩を追われる者が出るなど、不安定な状況であった。正保4年(1634年)12月11日、遺領を継ぐ。藩主となった後、承応2年(1653年)に2万両をおくって忠重を義絶している。万治3年(1660年)2月9日、庄内において死去。
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