邸下
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邸下(ていか、저하)は高麗・李氏朝鮮時代に用いられた王世子または王世孫に対する敬称(王世孫は閣下と呼ばれたりした[1])。この場合、「邸」は貴人の住む家であることを指し、「下」は身分の低い者が直接その地位の者を呼ぶのは失礼に値するという考え方の為、「下の取り次ぎの方を通して貴方をことをお呼び致します」という意味がこめられている。これは、陛下・殿下に対応するものである。
高麗が元に服属していた時期に用いられるようになったが、恭愍王の時代からしばらく用いられなくなった。しかし、その後李氏朝鮮時代には明の冊封国となり、国王が殿下と呼ばれるようになったため、王世子を邸下と呼ぶようになった。
[編集] 脚注
- ^ 『朝鮮王朝実録』英祖実録四十二年四十二年九月己巳
豐豫之會宜思挹損之節安樂之地當有危厲之慮伏願益懋中和之德以爲祈永之本臣又伏覩世孫邸下德宇已成閱理已熟宴安之戒不可不愼喩敎之方比前尤急
『朝鮮王朝実録』仁祖実録二十七年二十七年二月戊申
領議政金自點左議政李景奭右議政鄭太和以爲王世孫稱號旣無可據前規不得不義起以定稱以閣下似當上命依議施行