那須資実
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那須 資実(なす すけざね、生没年不詳)は室町時代から戦国時代の武将。下野の戦国大名下那須氏当主。那須資持の子。妻は那須明資の娘。那須資房、木須頼実の父。太郎。伊予守。烏山城城主。
上那須氏との対立は続いていたが、白河結城氏の結城直朝の仲介により当主明資の娘を妻に迎えるなど関係の修復に努めた。文明4年(1472年)には古河城を追われた古河公方足利成氏の古河復帰を下総結城氏や千葉氏とともに協力し、これを成し遂げた。
明応年間に烏山城の拡張工事を行ったり、永正年間に長く廃絶されていた天台宗光明寺(那須与一が開いたとされる)を再建するなど、領内経営に一定の実績を残している。