跡田直一
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跡田 直一(あとだ なおいち、明治3年10月4日(1870年10月28日) - 昭和10年(1935年)7月17日)は日本の実業家。
[編集] 人物
1870年10月、大分県に跡田善策の長男として生まれる。1893年法学院(現在の中央大学)を卒業し、逓信省鉄道局(後に鉄道省を経て日本国有鉄道の前身となる)に入省。1910年名古屋運輸事務所長(国鉄時代の名古屋鉄道管理局長に匹敵)に就任。
1912年、名古屋電気鉄道(現名古屋鉄道の前身)の経営陣に請われ、官職を辞して支配人(現在の鉄道部長に匹敵)に就任。以後は1920年に同社取締役、1921年の(旧)名古屋鉄道(名古屋電気鉄道の郊外線部門を分社化)発足時も、引き続き取締役兼支配人を務め、1925年には常務取締役、1933年には取締役社長(当時の社名は名岐鉄道)に就任。
1935年の愛知電気鉄道との合併交渉を取り仕切り、新生「名古屋鉄道」の初代社長に就任予定であったが、合併日(8月1日)を目前に病死。
なお五男・跡田禎三も早稲田大学卒業後に名鉄入社、濃飛乗合自動車の再建に携わった後、1979年から岐阜乗合自動車社長を務めた(1994年在職のまま死去)。
跡田直澄慶應大学教授は、直一の孫にあたる。