赤尾伊豆守
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赤尾 伊豆守(あかお いずのかみ、永禄2年(1559年) - 没年不詳)は安土桃山時代の武将。赤尾清綱の子。幼名は虎千代。妹に菊姫。
1573年、織田信長の小谷城攻撃で捕虜となり斬首されるが、父の清綱のこれまでの働きと忠義に免じて信長直々に助命され、多賀法印の弟子とされる。のちに人を斬り、赤尾の地に隠れ住んだのち、京極高次に仕官。赤尾伊豆守と名乗る。1600年、大津城の留守を黒田伊予守とともに預かる。高次の帰還ののちの大津城の戦いで山田大炊良利らとともに奮戦したため、西軍はなかなか城を落とせなかった。関ヶ原の戦いののち、新しい封地の小浜城の築城に際して、縄張りをして石垣の基礎を基づいた。