西園寺公名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西園寺 公名(さいおんじ きんめい、応永17年(1410年) - 応仁2年5月22日(1468年6月12日))は室町時代の公卿。父は西園寺実永。母は持明院基親女。子に西園寺実遠ら。法名は永存。道号は菊畹。号は観音寺相国。
[編集] 略歴
- 応永17年(1410年)に西園寺実永の子として生まれる。
- 応永27年(1420年)12月5日に参議となる。
- 永享10年(1438年)に内大臣(1438年 - 1441年)となる。
- 宝徳2年(1450年)4月25日、叙従一位。
- 康正元年(1455年)に太政大臣(1455年 - 1457年)となる。
- 長禄元年(1457年)8月28日に出家。
- 応仁2年(1468年)に死去。