蛭ヶ小島
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蛭ヶ小島(ひるがこじま)は、静岡県伊豆の国市にある源頼朝の流刑地として有名な地。しかし、歴史的には「伊豆国に配流」と記録されるのみで、「蛭ヶ島」というのは後世の記述であり、真偽のほどは不明。
現在、「蛭ヶ島公園」として整備されている場所は、江戸時代に学者の秋山富南が「頼朝が配流となった蛭ヶ島はこの付近にあった」と推定し、これを記念する碑が1790年に建てられた。これが「蛭島碑記」で市の指定文化財となっている。
発掘調査では弥生・古墳時代の遺物のみで、平安時代末期の遺物は出土せず、現在の蛭ヶ島公園となっている場所には頼朝がいなかったことは確実である。とはいえ、観光の目玉として「蛭ヶ島」は不可欠であるため、公園内には頼朝・政子像が作られている。 また、「蛭ヶ島」という名前から狩野川の中州というイメージで小説などに描かれることが多いが、狩野川はやや離れており、地質調査の結果から当時も付近を大きな河川が流れるということはないことが分かっている。平安時代の蛭ヶ島一帯は水田で、水田の多い湿地帯のなかに島状にある微高地であると考えられる。
- 「カマクラー」と自称する鎌倉時代を中心とした歴史ファン・歴史漫画ファンの巡礼地として、「蛭ヶ島公園」が様々なサイトに紹介されているが、「ここに頼朝がいなかった」という事実はあまり知られていない。
- 2007年、茶屋や土産物を売る店が地元の職業訓練校の生徒の手により作られた。運営はシルバー人材センターが行なっている。
- 公園内に茅葺きの建物が建っていて、「頼朝の住んでいた家の復元」と勘違いする人がいるが、これは江戸時代の農家「上野家住宅」を移築したもので、頼朝とは全く関係がない。