蘇我韓子
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蘇我 韓子(そがの からこ、生年未詳 - 465年5月)は、古墳時代の豪族。蘇我満智の子で、子に蘇我高麗がいる。「韓子」であるが男性である(当時は「子」が男女問わずに用いられた)。
465年3月、雄略天皇の命で紀小弓、大伴談、小鹿火宿禰らと新羅を征伐するために朝鮮へいったが、小弓が同月に死去してしまう。代わりにやってきたのが、小弓の息子紀大磐だが、大磐は小鹿火宿禰と対立。その小鹿火宿禰の讒言により、彼も大磐と仲違いしてしまう。それを知った百済の王が、仲を保つために国境を見にいかせたが、そのときに大磐を襲撃。返り討ちにあって死んだ。